東京都庭園美術館とアール・デコ調建築物






 東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)とアール・デコ調建築物
 アール・デコ(Art Déco)は装飾美術の意味だが、1920年代を中心とする1910年代から30年代、いわゆる"戦間期"にフランスや米国などで流行した建築・工芸・家具・インテリア・絵画・ファッションなどの分野における装飾様式の総称である。植物などの曲線を基調とする前世紀末のアール・ヌーボーに代わって、幾何学的・機能的表現になっており、工業生産の本格化による大量生産時代の到来を背景にしているとされている。ただ、アール・デコは装飾性を排除した、いわゆるモダニズムではない。むしろ、理念や主義に基づくものではない故、多様な"アール・デコ調"が広く浸透したと言えよう。
 わが国の建築界にも大きな影響を与えた。とくに、関東大震災がアール・デコの最盛期に起こったため、震災復興建築をはじめとして多様なアール・デコ調の建築物が建てられた。すなわち、"フランス直輸入"と言われるものから、和風を加味したものなど、アール・デコ的な感覚を取り入れた建物は、数多く建てられている。いろいろな様式を取り入れてしまう、折衷的なやり方は日本人の得意とするところなのであろう、現在の建物にも、それらしい装飾は時折見られるところである。
そのような中で、わが国におけるアール・デコ建築の代表とされているのが、旧朝香宮邸(現東京都庭園美術館本館、1933年築)である。
かねてから行ってみたいと思っていた東京都庭園美術館見学を機に、比較的身近なアール・デコ調の建築物等について纏めてみた。

旧朝香宮邸 (東京都庭園美術館) 学士会館 山の上ホテル    神奈川県庁本庁舎
横浜銀行協会 横浜地方気象台 日本郵船氷川丸 自由学園明日館
(ライト式アール・デコ)
  
アール・デコ調 ギャラリー アール・デコ調 レガシー      




 旧朝香宮邸(東京都庭園美術館本館)

 旧朝香宮邸は、旧皇族の朝香宮鳩彦王やすひこおう(1887=明治20〜1981=昭和56)が1933年に建設し、1947年の皇籍離脱まで住居とした邸宅である。
 朝香宮は、久邇宮朝彦親王の第8王子で、1906年に朝香宮家を創設、1910年に明治天皇皇女允子内親王と結婚した。1922年にフランスへ留学したが、交通事故により重傷を負い、滞在が長引く中、看病のため渡仏した宮妃とともに1925年のパリ万国博覧会(アール・デコ博)を観覧することとなった。同博覧会の出展の太宗を占めていた当時のフ ランスは、アール・デコの全盛期で、その様式美に魅せられた夫妻は、自邸の建設にあたり、フランス人画家・工芸家アンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼した。ラパンは、当時フラ ンスで活躍していた造形作家をも動員し、これに応え、アール・デコの精華を取り入れた邸宅が出来上がった。
 1947年からは吉田外相・首相公邸として使用され、1950年に西武鉄道に払い下げられた。西武は1955年から白金プリンス迎賓館として事業化し、国賓・公賓来日の際の迎賓館として現在の赤坂迎賓館の改修が完成する1974年まで使用された。1981年に東京都に売却され、1983年に東京都庭園美術館として公開された。
 旧朝香宮邸は、建物全体が"アール・デコの美術品"と称されるほどであるが、戦後米軍に接収されて無神経なペンキ塗りをされるような事態を避けられたことから、保存状態も良好と言ってよい。そして、2015年に国の重要文化財に指定された。美術館としては、旧朝香宮邸建物公開事業に活用するため、旧朝香宮邸やアール・デコ様式との関連を有する美術品や資料を収集・保管している。なお、2014年に美術館新館を建設したため、旧朝香宮邸は本館と呼ばれている。
 また、茶室の置かれた日本庭園と、芝庭、西洋庭園からなる広大な庭園を有し、首都高速道路や目黒道りに近接していることから静寂とは言い難いものの、市街地の中での憩いの場所となっている。
なお、当美術館は、展覧会開催時以外は内部には入れず、見学は庭園のみとなっている。建物内部については、年一回夏に行われる、建物自体の公開展覧会でないと見学することはできない。内部については、当美術館のホームページに詳しく紹介されている。

外観と玄関

1 階 の 各 室

2階の各室(居住空間)と屋上階

庭園


T 外観と玄関
(画像はクリックで拡大します)
(外 観)
 
東京都庭園美術館正面入口(目黒通り沿い)  正面玄関を望む
 
正面全景(東向き)  正面玄関から前庭を望む
 
南側全景  西側(最上階ガラス張りの部屋は温室ウィンター・ガーデン)
 
旧朝香宮邸(本館)裏に2014年完成した新館  新館エントランス

(玄 関)
 
正面玄関ポーチ  正面玄関(左第一応接室、右受付)
 
正面玄関大広間入口ガラスレリーフ扉(ルネ・ラリック制作)
(型押ガラス製法による4体の翼を広げた女性像)
冒頭文章中に拡大画像
  天然石による玄関床面のモザイク
(デザインは宮内省内匠寮技手による)
第一応接室
(玄関左、来賓の御用係や供待が主人を待つ部屋)

U 1 階 の 各 室

(画像はクリックで拡大します)
(大広間)
 
大広間入口内部から見た正面玄関レリーフ扉  大広間
(壁面はウォーロナット材、天井は40個の半円球照明)
 
大広間正面中庭側アーチ、鏡とマントルピース  1階通路
 
アーチ内部のアンリ・ラパン作の絵("サント・ヴィクトワール
山麓 2人の子どものいるプロヴァンス地方の風景")
  マントルピース(建設当時の暖房は、各室の暖房施設の
種類を問わず原則全館スチーム暖房)
 
大広間から2階への階段上り口  同左右の大理石レリーフ
"イヴァン=レオン・ブランショ作"戯れる子供たち"
 
ラジエーターカバー(壁内蔵式ではレジスターと呼んでいる
ようだが、全てカバーと呼ぶことにする)
  大広間から中庭を望む
(次 室)
 
大広間から大客室へつなぐ"次室"
(白漆喰の半円球ドーム天井、柱は黒漆)
  アンリ・ラパンのデザインによる白磁の香水塔
(上部の照明部分に香水を施し、照明熱で香りを漂わせた)
 
香水塔上部の装飾  香水塔下部の装飾
次室外のテラスの様子
(小客室)
 
小客室  小客室(マントルピースの石材は、ギリシャ産蛇紋岩
"ティノス・グリーン")
 
小客室(壁にはアンリ・ラパンの"樹木と水のある風景"
の油絵が張り巡らされている)
  アンリ・ラパンのサイン
ラジエーターカバー(デザインは宮内省内匠ォ)
(大客室)
大食堂と共に、最もアール・デコの粋が集められている
 
大客室全景  手前大客室からエッチングガラスの引き戸を挟み大食堂
(壁面上部木製ボードの壁画は、アンリ・ラパン作、
イオニア式柱頭など細かい装飾が見える)
 
石膏によるジグザグ模様の天井とシャンデリア  大客室から次室を望む
ルネ・ラリック作のシャンデリア"ブカレスト"
最もアール・デコ的な作品とされている
大客室各出入り口の扉

ドアパネルは、マックス・アングランによる、銀引き
フロスト仕上げのエッチング・ガラス嵌め込みで、
文様は、中央の縦線を中心に左右対称。各扉により
デザインは異なる。
上部半円形は、レイモン・シュブのタンパン装飾と
呼ばれる鉄細工


 
ラジエーターカバー(デザインは宮内省内匠ォ)  マントルピース(大理石はギリシャ産ディノス・グリーン)
 
大客室テラスと庭園  大客室テラス天井の照明器具
(大食堂)
 
大食堂全景(銀灰色の壁面は、レオン・ブランシュデザイン。
コンクリート製レリーフがフランスからの輸送途上破損した
ため、日本で型を取り石膏で作成し直し、塗装したもの)
  同左
 
窓際壁内蔵のラジエーターカバー  同左拡大、魚介のデザイン
 
暖炉(電気式)とアンリ・ラパン作の壁画
(壁画は油彩で、赤いパーゴラと泉)
  暖炉上の素焼きの磁器"女性と子供"
(ジョセフ・コルミエ作・仏国立セーブル製陶所1931)
 
レイモン・シュブ作のサイドテーブル
(鍛鉄、縞瑪瑙、ガラス製)
  サイドテーブル上の燭台"トウキョウ"(ルネ・ラリック作)
(透明ガラス、プレス成型)
 
大食堂天井と照明器具(四つの段からなる漆喰の
ヴォールト天井の施工には高度の熟練技術を要す)
  ルネ・ラリック制作の照明器具"パイナップルとざくろ"
 
大食堂からテラスを望む  大食堂から庭園を望む
(小食堂)
 
小食堂
(床の間など和の要素を取り入れた宮家日常の食事室 )
  天井は杉の柾板
 
小食堂のシャンデリア  源氏香模様のラジエーターカバー
(欅材の寄木床の周辺は黒檀の帯状の装飾)
小食堂外のフジのパーゴラ・泰山タイルのテラスと庭園
(画像はクリックで拡大します)
(第一階段)
大広間から2階へ上がる中央階段
 
第一階段
(建物中央、手摺は黒っぽいがカラーラ・ビアンカ)
  同左踊り場上部分(階上折上げ天井部分は、2階広間)
ラフコート(左官)

第一階段、2階広間、廊下の壁には、"ラフコート"と呼ばれる
模様付きの漆喰加工が施されている。
ラフコートは、亀裂や剥落がなく、加工後は硬着するという
特徴をもつ米国産の建材で、当時としては最先端の建材を
導入した。
加工には高い技術が必要とされ、ここでも日本職人の高い
能力が発揮された(クリックで拡大表示されます)。



U 2階の各室(居住空間)と屋上階


(画像はクリックで拡大します)
(2階広間)
 
第一階段上2階広間の照明柱
(アール・デコ特有のパターン化された花模様)
  2階広間(中央アーチは若宮寝室入口(アーチ直ぐの扉は
会の間)、広間に面した扉は若宮居間)
 
2階広間
(アーチ正面は殿下居間、左手は書庫とその奥が書斎)
  2階広間 (ソファーは造り付けのもの)
 
宮妃肖像画  2階広間ラジエーターカバー
(若宮寝室、合の間)
 
若宮寝室(張り出し窓のサッシは竣工当時のまま)  ラジエーターカバー
 
若宮寝室天井装飾  若宮合の間(白漆喰の高いヴォールト天井に特徴)
 
若宮合の間照明器具  同左ラジエーターカバー
(若宮居間)
 
若宮居間  同左窓側(東側正面玄関真上)
 
ステンドグラスによるペンダント照明  マントルピースと特徴の飾り丸柱
ベランダ(クリンカータイル張り、正面玄関ポーチ上)
(書斎と書庫)
 
書斎
(アンリ・ラパンのデザイン、戦後は吉田茂の執務室)
  書斎は、東南の角部屋で正方形だが、角に棚などを設置し、
八角形の部屋に仕上げている)
 
書斎の回転式机(アンリ・ラパンのデザインでフランスより
輸入された。新館の展示室に展示)
  吉田茂は、この机を気に入っていたという。
 
ドーム型の天井と間接照明  書庫
書斎から玄関前を見下ろす
(殿下居間)
 
殿下居間(カーテンと壁紙は2004年に復元したもの)  同左(壁には、上部の黒い部分に装飾の施された檜材の
付け柱が配されている)
 
殿下居間の壁紙  噴水をモチーフとしたラジエーターカバー
 
付け柱上部の装飾  ルネ・ラリック作"カーマスコット(勝利の女神)"
(殿下寝室、第一浴室)
 
殿下寝室  同左ベランダ側
 
扉や壁の装飾はクスノキの"玉杢"
(玉杢とは、樹木の瘤をスライスすると現れる模様)
  第一浴室(壁はフランス産大理石)
殿下寝室外のベランダ
(妃殿下寝室)
 
妃殿下寝室  同左(ラジエーターは埋め込み式で上下2カ所に設置、
妃殿下のカバーデザインによる)
 
妃殿下寝室布シェード付き上下可動照明
(左の円形は、上のラジエーターカバー)
  下のラジエーターカバー
(妃殿下居間)
 
妃殿下居間  同左半円形バルコニー側
妃殿下居間南側半円形バルコニー
(床は泰山タイル)
 
浅いヴォールト天井に取り付けられた5つのボール状照明  ラジエーターカバー
(2階ベランダ)
 
2階ベランダ
(手前朝香宮居間及び寝室と前方宮妃居間からのみ入れる)
  2階ベランダヴォールト天井のペンダントライト
2階ベランダから庭園を一望(右は妃殿下居間のバルコニー)
(姫宮寝室、居間)
 
姫宮寝室  同左ペンダントライト(ガラスでなく、ロウ石使用)
 
輸入壁紙
(当時欧州で評価の高ったスイス製壁紙で、竣工当時のまま
残るはここのみ)
  姫宮寝室ラジエーターカバー
(フラッシュ禁止のためこれが限界)
 
姫宮居間(マントルピースは、サーモンピンクの大理石)  同左
 
姫宮居間ペンダントライト  同左ラジエーターカバー
(北の間<北側ベランダ>)
 
中庭に面する"北の間"(夏期の家族団欒の場)  同左(2階広間との仕切り窓のデザインはライト風?)
 
北の間天井(外光採り入れのため天窓を設けている)  同左床(陶器の釉薬を施した布目タイル9
(2階廊下、第二階段)
 
2階廊下(第二階段前から広間方向を望む)  姫宮寝室前(第二階段前)のペンダントライト
 
第二階段  第二階段の装飾

(屋上階ウィンターガーデン)
 
ウィンターガーデン(温室)内部
(床は人造大理石、市松模様の腰壁は国産大理石)
  ウィンターガーデン窓側
ウィンターガーデンから庭園を望む


V 庭 園
 
庭園入口  茶室「光華」入口(1936年上棟、国指定重要文化財)
 
茶室「光華」全景  茶室「光華」扁額(朝香宮書)
 
茶室「光華」の広間  日本庭園(茶室前)
 
西洋庭園  庭園出口から西洋庭園を望む

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 学士会館

 学士会館は、東京神田錦町に所在する旧7帝国大学出身者の親睦と知識交流を目的とした"學士會"会員のための倶楽部施設である(現在は一部施設を除き一般利用可能)。
 この地は、明治初期におけるわが国の高等教育の中心となってきた場所である。すなわち、幕府時代の開成所(前身は番所調所)から大学南校(1870)〜第一大学区第一番中学校(1872)〜開成所(1873)〜東京開成所(1874)と目まぐるしく学制が変更された後、1877(明治10)年に東京医学校と合併して東京大学が当地において設立された(1885年までに本郷へ移転)。
 学士会は、1913(大正2)年に木造の会館を建設したが火災で焼失し、関東大震災を経た1928年5月に現在の鉄骨鉄筋コンクリート造り4階建ての建物を完成した。建築推進の中心となったのは、日本の耐震工学を確立した佐野利器で、設計は彼の門下生で、日本橋高島屋や帝国ホテル新館などを手掛けた高橋貞太郎である。外壁が昭和初期に流行したスクラッチタイルで覆われ、装飾は全体としてアール・デコ調である。2003年に、国の有形文化財に登録された。この旧館に一歩後退して建てられているのは、1937年建設された5階建ての新館である。
旧館1階のメイン・レストラン"ラタン"は、1928年以来の姿を保っているという。
(画像はクリックで拡大します)
(外観と玄関)
 
神保町側学士会館全景(左側が新館)
(1階は石張り、2階以上がスクラッチタイル)
  一ツ橋側旧館全景(一ツ橋交差点から)
 
学士会館旧館南側隅
(最上階の上部半円形の窓、バルコニー)
  学士会館新館正面
 
ロマネスク風の正面玄関(旧館)
(左右の大燈籠は、戦時中供出し、2003年復元したもの)
  玄関上部のプレート
 
正面玄関(旧館)ホール  ホール照明と天井装飾
正面玄関(旧館)ホール天井装飾
 
神保町側玄関(旧館と新館接合部分に設置)  神保町側玄関ホール
(内部共用スペース)
 
1階フロント(神保町側玄関上)  1階廊下(手前右談話室、正面レストラン"Latin ラタン")
 
1階廊下の照明  1階廊下の装飾
 
1階廊下の装飾  1階廊下の装飾
 
旧館階段室  2階階段横の装飾
 
2階210号室
(立食300名、着席270名可能な最大の宴会場)
  同左
(レストラン "ラタン")
 
ラタン入口  ラタン前の時計と菱形の鋲打ち模様の柱
 
店内入口扉  個室
 
店内  店内
 
店内  店内
(学士会館敷地内の記念碑)
 
"東京大学発祥の地"碑(1991年建之)  "新島襄先生生誕地"の碑(1941年徳富正敬=蘇峰書)
(錦町の安中藩主の屋敷で1843(天保14)年に生まれた)
"日本野球発祥の地"碑(2005年建之)
(「第一大学区第一番中学校」にて米国人教師が初めて
当地で野球を教えた)

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 山の上ホテル

 出版社の多い神田神保町に近接していることから、多くの作家の定宿であったことで知られる「山の上ホテル」は、1936年に北九州若松の石炭商佐藤慶太郎が建設したアール・デコ調の建築物である。設計は、米国人建築家で多くの教会や学校の設計を手掛けたウィリアム・メレル・ヴォーリズ。当初は西洋の生活様式、マナー等を女性に啓蒙する施設「佐藤新興生活館」として運用していたが、その後、帝国海軍に徴用されたり、戦後は米国陸軍婦人部隊の宿舎として用いられ、ホテルとして開業したのは1954年1月である。一時別館を併設したが、現在は開業当初の建物で、客室数35室と規模は小さいが、行き届いたサービス水準など、評価の高いいわゆるクラシック・ホテルとして知られている。
ホテル経営の観点からは、35室で採算がとれるとは思われないが、客室規模の割には料飲部門が充実(フレンチ、天ぷらと和食、中華、鉄板焼き、バー、ワインバー)しているほか、都心にてんぷらの直営店を3店舗展開しているなど料飲主体の業態になっているようだ。
なお、佐藤は、1926年に開館した東京府立の美術館(現東京都美術館)の建設資金を提供した人物である。
(画像はクリックで拡大します)
(外観と玄関)
 
山の上ホテル正面全景  塔部分のジグザグファサードが特徴
 
正面玄関  窓下の三角形5段の持ち送り、窓の外へ大きく出た柱形
 
玄関ホール  アール・デコ調の天井照明(ホテルホームページによる)
 
玄関ホール装飾  同左
(ロビー等の装飾)
 
小ロビー(Bar Nonnon)  大ロビー(照明と特徴のタイル)
 
階段のタイル  エレベーターホール
 
サブエントランス(小ロビー出入口)扉  玄関横窓の面格子"

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 神奈川県庁本庁舎

 神奈川県庁本庁舎は、1928年10月関東大震災で焼失した旧県庁舎に代わるものとして建設された。 鉄骨鉄筋コンクリート造り地上5階地下1階建てで、洋風建築物に和風の塔屋を載せたデザインは"帝冠様式"と呼ばれ、1930年代前半まで公共建築物等に多く採用された。学士会館同様佐野利器(設計公募の審査委員長)が中心になって推進した。
外観はライトの影響があるとされているが、全体として当時流行のアール・デコ調に和の趣向を加味したものとなっている。1996年に、国の有形文化財に登録された。
塔屋は、五重塔をモチーフとしたものもので、「キングの塔」の愛称があり、横浜税関本関庁舎(1934築)の「クイーンの塔」、横浜市開港記念会館(1909年築を1927復元再建、国指定重要文化財)の「ジャックの塔」とともに「横浜三塔」と呼ばれている。
(画像はクリックで拡大します)
(外 観)
 
神奈川県庁本庁舎正面全景
(1階部分が大谷石、2階以上がスクラッチタイル貼り
  神奈川県庁本庁舎正面・塔の部分(キングの塔)
 
屋上の塔側面  塔側面のスクラッチタイル
 
塔先端部  塔上部の装飾
(テラコッタ(素焼きの焼物による装飾)が各所に見られたが、
落下防止のため全て銅板で巻いてある)
 
正面玄関全景  正面玄関上部(最上部の縦長の窓が正庁の窓)
正面玄関ポーチの装飾
(西玄関)
 
西玄関(正面の裏側)  西玄関上部
西玄関柱・梁・欄干の装飾
(正面玄関〜正面大階段前)
 
正面玄関ポーチ  ポーチ上部の装飾
 
正面玄関ポーチタイルの「宝相華」
(「宝相華」とは、極楽に咲くという仏教美術の花。庁内装飾
の基本として採用されている)
  正面玄関ロビー
 
正面玄関ロビーのシャンデリア
(天井の漆喰の模様も宝相華9
  天井隅の装飾(丸い装飾は宝相華)
 
正面階段  正面階段前のシャンデリア
 
陶製装飾灯の宝相華  正面階段手摺グリルの宝相華
(旧議会議場=現大会議場(3 階))
 
旧議会議場全景  旧議会議場舞台(公開日イベントの落語上演)
 
旧議会議場のシャンデリア  同左天井部
旧議会議場入口前の宝相華の装飾
(旧貴賓室=第3応接室(3 階))
 
旧貴賓室全景
(天井装飾、天井照明、シャンデリアの装飾は全て宝相華)
  同左
 
梁の装飾とブラケット  マントルピース
 
宝相華のシャンデリア  天井の宝相華の装飾
 
シーリングライト  宝相華装飾の扉
窓の装飾
(知事室(3 階))
 
知事室内  同左
(正庁)
 本庁舎正面に面する4階に、"正庁"と呼ばれる講堂のような部屋があり、戦前は、元旦、紀元節、天長節のいわゆる三大節の儀式が行われていた。正面に"聖壇"と呼ばれる舞台が設えられており、幕の奥には"御真影"が掲げられていたという。戦後は2016年9月まで、間仕切りを行い、シャンデリアを外すなどして執務スペースとして利用していたが、会議室等として活用するため、創建当初の内装意匠を可能な範囲で復原するなどの改修工事が行われ、2019年5月から一般見学が可能となった。
(正 庁(4 階))
 
正庁前廊下の陶製タイルの宝相華  正庁全景
 
正庁正面側  "聖壇"
 
シャンデリア  "天井装飾"
 
壁時計と欄間(欄間の左に桜、右に橘が彫ってある。
旧貴賓室にもみられる)
  ニッチペンダント
窓の装飾

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 横浜銀行協会

 横浜銀行協会の建物は、嘗て横浜の金融街であった本町通りに1936(昭和11)年建てられた。国会議事堂設計の中心人物である大熊義邦と、林剛蔵の設計になるもので、正面や側面の美しいテラコッタの装飾が特徴で、現在でも本町通で精彩を放つビルである。吉田鋼市は、"アール・デコの精髄"と呼んでいる。
(画像はクリックで拡大します)
 
横浜銀行協会正面全景  玄関ポーチ
 
玄関ポーチ庇側面  ややアール・ヌーボー風レリーフの玄関ポーチ柱
(先代の建物がアール・ヌーボー建築として有名だったこと
との関係か)
 
正面上部  正面上部中央のテラコッタ(中央円筒状の旗竿差し)
 
正面窓間壁周囲の装飾  正面上部隅のテラコッタ
 
側面  側面三連窓と三角模様のテラコッタ
 
玄関  玄関のガラス扉の青海波文様
(青海波は、アール・デコでよく見られる)
 
玄関扉  玄関扉のレリーフ
玄関扉上部隅のテラコッタ

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 横浜地方気象台

 横浜地方気象台は1896(明治29)年に、神奈川県測候所として、現在の山下公園付近に設立されたが、関東大震災によって建物が全て焼失し、1927年に当時流行のアール・デコ様式により、山手地区の現在地に建設された。場所は、外人墓地上に隣接する高台で、関東大震災によって倒壊した旧米国海軍病院跡地である。
築80年近くなり、老朽化・狭隘化が著しくなったため、歴史的・文化的価値を活かしつつ、既存庁舎の改修と増築を行い、2008年に完成した。設計等は、安藤忠雄事務所が担当した。なお、既存庁舎は、外国人居留地の面影を残す、横浜山手地区に特有なブラフ積みと呼ばれる石積み擁壁を含め、2005年に横浜市有形文化財に指定されている。
(画像はクリックで拡大します)
 
横浜地方気象台正面
(2008年の改修により外壁を一新。左は増築部分)
  既存庁舎塔屋部分(時計上下の7段の横桟、窓上部の
3段の矩形装飾は、改修前の通り)
 
既存庁舎玄関
(左のガラス張りは、増築部分との連絡通路)
  玄関ポーチ上のアール・デコ調装飾と柱
(冒頭の横長画像はその拡大)
 
玄関扉  内部から見た玄関扉
 
玄関ホール  玄関ホールの創建時からの阿部式時計(作動はしていない)
 
1階旧所長室  旧所長室のペンダントライト
 
2階旧応接室照明 2階旧応接室照明器具の中心飾り
階段(手摺は今回の改修で復元)


(旧米国海軍病院の遺構)
 
明治期の井戸の遺構  ブラフ積擁壁
(一段に長手面と小口面の凝灰岩を交互に積んである。
煉瓦工法のフランス積みと同じ手法)


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 日本郵船氷川丸

 氷川丸は、横浜の山下公園前に係留保存されている、日本郵船所有の貨客船である(11,622総トン、全長163.3m、幅20.1m,主機B&W)。現在横浜みなとみらい地区にドックガーデンとしてその跡地が残されている横浜船渠(後の三菱重工横浜造船所)で1930年に建造され、シアトル航路に就航した。
太平洋戦争中は海軍特設病院船となり、触雷3回に及んだが、沈没を免れ、戦後は引揚船などを経て1953年にシアトル航路に復帰した。
船齢30年に達した1960年に運行を終了し、1961年以降山下公園前に係留保存され、現役時代の2倍近い期間を経過し、現在に及んでいる。同時期に我が国で建造された大型船は殆ど沈没しており、現存する唯一の貨客船であることから、造船技術や客船の内装を伝える産業遺産として、2016年に重要文化財に指定された。
本船の内装についてはフランス人工芸家のマーク・シモンによるアール・デコ様式で統一されており、旧朝香宮邸と並ぶ"フランス直輸入のアール・デコ"である。
ただ、船体はかなり劣化しているはずで、この先大規模な修繕を行わない限り、維持することは困難ではないか。業績変動の大きな、民間の一海運会社には負担となろう。
(画像はクリックで拡大します)
(エントランスロビー、一等児童室)
 
エントランスロビー  一等児童室
(一等食堂)
 
一等食堂(メインダイニング)  同左
 
一等食堂  柱の照明と装飾
 
中央部折上げ天井照明  出入り口付近の天井照明
(階 段)
 
A-Bデッキ間の主階段  同左正面
 
主階段上部
中央の紋章は、氷川神社(埼玉大宮)の社紋・八雲紋
  主階段上甲板(Aデッキ)レベル
(一等読書室)
(一等社交室)
 
一等社交室扉  全景
(メインホールとして、公式レセプションやパーティー会場)
 
一等社交室・ピアノのあるスペース  同左折上げ天井の照明
 
壁の植物の絵画
(フランス人画家ルイ・レイモン・ドレアージュによる)
  柱の意匠
 
マントルピース  同左上部
(一等喫煙室)
 
一等喫煙室  同左天井照明
暖炉
(一等客室)
 
一等客室  同左
(一等特別室)
 
一等特別室(寝室)  同左窓の装飾
 
一等特別室(応接室)  同左窓の装飾

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 自由学園明日館(ライト式アール・デコ)

 フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)は、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる米国の建築家である。1910年にドイツで出版した作品集が、アール・デコに影響を与えたとされている。すなわち、アール・デコの先駆をなした、あるいはアール・デコ的なものを早くから持っていた、ということのようだ。そのような意味合いから、ライトやライトに影響を受けた建築家の建築を"ライト式アール・デコ"と呼ぶこともある。
 ライトは、帝国ホテルの依頼により、1913年に来日し、日本の建築界に大きな影響を与え、ライト信奉者による数多くの建築物が生まれた。
 自由学園は、羽仁吉一・もと子夫妻により1921年に設立された女学校である。設立にあたり羽仁夫妻は、校舎の設計を友人の建築家 遠藤新を介してライトに依頼し、ライトは夫妻のキリスト教精神による教育理念に共鳴し、引き受けたという。校舎は、1921年4月にに中央棟西端の教室(下図のRm1921)が完成、開校式を行い自由学園が発足した。ホールを含む中央棟と西教室棟が完成したのは、翌1922年である。ライトが設計したのは、中央棟と西教室棟であり、東教室棟は西と同じにするよう遠藤に指示して帰国したという(1925年に東教室棟完成)。また、遠藤新設計により、1927年に、講堂が完成している。建物は、ホールを除き全て木造平屋建てである。関東大震災や太平洋戦争中の空襲からも被害を免れた。なお、学校は生徒数の増加に対応して、1934年に東久留米市へ移転した。"明日館"は、その後につけられた呼称である。
遠藤は、ライトの下で帝国ホテルの設計に関与していた建築家であり、日本におけるライト流の代表的存在である。
 自由学園明日館は、1997年に国の重要文化財に指定された。当時は老朽化がひどかったが、その後の保存修理事業により、2017年までに全4棟が竣工当時へ復元された。
さて、今回自由学園明日館を見学して、幾何学模様といっても、定規だけで描ける直線のみの組み合わせがライトの特徴とするならば、ライトはやはりライト流で、敢えてアール・デコの範囲をここまで広げることはないのではないか、という感想を持った。

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(外 観)
 
ホール全景  受付・事務所(東教室棟)
 中央棟は、ホールを中心に5室あり、各室の間に玄関がある。中央棟の両端の玄関前には、複雑な形の木製カバーに覆われた玄関灯が置かれている。
 
中央棟玄関(会議室Rm1925と大教室"としま"の間の玄関)
(右の窓は会議室Rm1925、中央は玄関灯)
  ホール西側の玄関
 
西教室棟  東教室棟

(ホール、ミニ・ライト・ミュージアム)
 
ホール窓側
(女学校時代は朝の礼拝所)
  ホール奥
(ホール奥は中2階にして"ミニミュージアム"になっている)
 
ミニミュージアム下の部分(学校建築には珍しい暖炉がある)
(団欒の場を共有しようというライトの主張)
  ホール内の照明
 
ホール内部(壁画は、創立10周年記念制作)
(壁画のテーマは、旧約聖書出エジプト記13-21で、昼夜に
わたり荒れ野を行進する様を描いている)
  自由学園のモットーを示す少女像
(モットーとは「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」)
 
ミニ・ライト・ミュージアムから  ミニ・ライト・ミュージアム内部

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(食 堂)
 
食堂中央部  暖炉のある食堂中央部の照明具
 
食堂両端の小部屋
(当初中央部だけだったが、テラス部分の左右両端と奥に
屋根を架けてを増設した)
  同左
 
食堂の照明具(奥の増設小部屋が見える)  奥の小部屋

(中央棟の教室・会議室)
 
大教室"としま"  同左
 
会議室Rm1925  同左
 
会議室Rm1925  同左内の廊下の陸屋根を支える柱(Rm1921にもみられる)
(ホールから離れるとセットバックさせる配置のため、廊下の
屋根を支える柱が部屋の中にあるという奇妙な設計)
 
大教室"タリアセン"(タリアセンは、ライトの自邸の名称)  同左
 
会議室Rm1921
(1921.4.15開校日に入学式を行った記念室)
  同左
 
会議室Rm1921  同左
(Rm1925と左右対称の位置にあり、廊下の陸屋根を支える
柱がある。世界的建築家としては随分不細工だと思うが。)
 
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(講 堂)
 
講堂正面  同左側面
 
 
講堂内部(  同左(催事の準備作業中)
 
 
講堂内部  同左

 [附:遠藤新の作品〜和洋折衷の旧近藤邸]
 遠藤新の代表的な作品が、JR藤沢駅南の市民ホールや秩父宮体育館のある敷地の一角に保存されていることを知った。建物の高さを抑え、水平線を強調した、ライトがプレイリースタイルと呼んだ様式を踏襲した和洋折衷住宅である。1925年に、実業家近藤賢二が市内辻堂東海岸の松林の中に別荘として建設した。1979年に取壊されることになったが、市民の保存要請をを受け、藤沢市が現在地に移築保存することとしたしたもので、2002年に国の登録文化財に指定された。アール・デコとは離れるが、紹介しておくこととした。
 居間兼和室以外すべて和室で、"ライト式和室"といった趣であるが、ライト式は、やはり洋間の方が似合うように感じる。
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旧近藤邸全景  同左正面東側と玄関
 
1階居間兼食堂(「軽食&喫茶すかいはーと」)
(市が障がい者就労支援施設として運営)
  同左暖炉
 
1階居間兼食堂奥の和室  同左
1階南側の和室
 
2階和室  同左
 
2階和室出入口  2階サンルーム

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 アール・デコ調 ギャラリー

1 東京慈恵会医科大学F棟
 東京慈恵会医科大学の本拠、西新橋のキャンパスにあるアール・デコ感覚に溢れた建物である。関東大震災で大学と病院を焼失の後、東京慈恵会医院本館として1930年竣工。現在は、研究棟として使われている。
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東京慈恵会医科大学F棟全景
(愛宕グリーンヒルズオフィス棟3階から)
  同左
(駐車場入口に遮られ地上からの正面全景撮影はできない)
 
正面中央上階部  正面中央最上部
 
正面3階窓の装飾  正面2階窓の装飾
 
正面3階脇の窓の装飾  玄関脇窓の装飾
 
玄関  玄関上部の青海波模様の装飾
 
玄関ロビー  ライオン吐水口(玄関の両脇)

2 ホテルニューグランド本館
 横浜山下公園前に立地する老舗ホテルで、いわゆるクラシックホテルの代表的存在。日本を代表するアール・デコ建築家である渡辺仁(1887〜1973)の設計で、1927年竣工。
近代的クラシック建築とされているが、アール・デコ調であり、さらに和風、東洋風が加味されている。客室数は49。1991年に隣接して客室数202のグランドタワー(18階建て)を開業した。
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(外 観)
 
ホテルニューグランド本館全景  外壁のメダイヨン飾り(典型的アール・デコの造形)
 
山下公園側の本館玄関  本館玄関上部と装飾
 
2階外壁上の装飾  2階玄関上ベランダフェンスの装飾
(大階段と2階宴会場ロビー)
 
正面階段  正面階段下
正面階段上エレベーターホールの天井レリーフ
 
ロビー全景  天井吊り下げ照明の中心飾り文様
 
柱の装飾  通気口周りの装飾
1階梁下端の文様
正面階段上エレベーター上部の装飾(東洋的手法による日本の第一印象付けの一環とみられる)
3 福屋本店本館
 (株)福屋は、1929年創業の広島八丁堀に本拠を置く老舗百貨店である。現在の本館は、渡辺仁設計により1938年に竣工したが、原爆により壊滅的な被害を受けた。たたし、外郭は残され、復旧して現在も営業を続けている、数少ない被爆建築物の一つである。
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福屋本館全景  福屋本館コーナー頂部
(繊細な付柱に特徴、ゴシック調アール・デコ)
福屋本館壁面細部

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 アール・デコ調 レガシー

1 旧交詢社ビル
 旧交詢社ビル(1929築)は、東京銀座6丁目に嘗て存在した建築物で、チューダー朝ゴシック様式を基調としつつ、外観にアールデコの意匠を取り入れた、昭和初期を代表する建築とされていた。設計は、横河工務所横河時介。2004年に現在のビル(地上10階地下2階、延床面積22千m2)に建て替えられたが、旧ビルのファサード中央部が保存されている。

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旧交詢社ビルファサード(交詢社通り側)  交詢社ビル全景
 
1階正面  玄関
 
玄関の装飾  玄関扉
 
旧ビルファサード最上部  正面窓の上部
 
正面窓上部のステンドグラス  同左
正面窓中間部の装飾

2 文房堂
 文房堂は、1887(明治20)創業の老舗画材店である。1922年に現在地(神田神保町すずらん通り、三省堂前)に、ロマネスク風の中にアール・デコ調を取り入れた社屋が建設された。RC造りのため、関東大震災にも倒壊は免れたが、1990年に正面ファサードを保存の上、建て替えられた。
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正面の旧ビルファサード(外壁全体がスクラッチタイル)  文房堂全景
正面玄関のプレート

 
最上部のキーストーンと周辺  玄関上
 
2階と3階の間の外壁のトラ(陶製らしい)  玄関上の装飾

3 三信ビル
 三信ビルは、東京日比谷に2005年まで存在したオフィスビルである(1929築)。アール・デコを基調とする外装の、RC造り地上8階地下2階で、1階〜2階は吹抜けのアーチ型天井のアーケード商店街という斬新なものであった。設計は松井貴太郎(横河工務所)。三信ビルの建て替えが発表されると、日本建築学会は、昭和初期を代表する極めて優れた建築作品として、その保存を要望し、市民レベルでも保存運動が起きた。
計画通り隣接していた日比谷三井ビルと共同で再開発が行われ、2018年に東京ミッドタウン日比谷として開業し、三信ビルは影も形も残っていないが、日比谷通りに面する低層部は、三信ビルの意匠を継承し高さを約31とすることで、隣接する日生劇場と高さを合わせている。また、地下鉄日比谷駅の通路と接続する"日比谷アーケード"は、嘗ての吹き抜けのアーケードをイメージし、アール・デコ風の装飾を取り入れている。ミッドタウンにおいても、アール・デコ調の意匠がみられる。
(画像はクリックで拡大します)
(旧三信ビル)
 
旧三信ビル全景
(三幸エステートホームページによる
https://www.sanko-e.co.jp/read/memory/sanshin)
  旧三信ビルのアーケード(出所は左図に同じ)

(東京ミッドタウン〜外観と日比谷アーケード)
 
日比谷通り日比谷公園側から高層部を望む  旧三信ビルをイメージした日比谷通側(右端は日生劇場)
 
日比谷アーケード(中央)  同左店舗前
 
日比谷アーケード天井と柱
(地下鉄通路側のエレベーター・エスカレーターホール)
  エレベーター上部の装飾
 
店舗上部の装飾  同左
 
店舗上部の装飾と照明器具  日比谷アーケードからミッドタウンB1(HIBIYA FOOD HALL)
への上り口
(東京ミッドタウン低層部<テラス>)
 
アトリウム(3階までの吹き抜け)  柱の装飾
 
手摺の装飾  6階パークビューガーデン
オフィス棟(日比谷三井タワー)9階展望スペースから日比谷公会堂方面を望む
(中央は日生劇場塔屋)

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[参考文献]
吉田 鋼市「図説 アール・デコ建築」(2010、河出書房新社)
       「日本のアール・デコ建築入門(2014、王国社)
       「日本のアール・デコの建築 渡辺仁から村野東吾まで」(2016、同上)
NHK「美の壺」制作班「アール・デコの建築」(2008、日本放送出版協会) 
海野 弘「アール・デコの時代」(2005、中公文庫)


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