・旧帝国海軍横須賀鎮守府司令長官の官舎は、1913年(大正2年)現在の京浜急行県立大学駅背後の東京湾を一望する高台に建設された。 この官舎の企画設計は、当時の横須賀鎮守府建築科長桜井小太郎が行った。桜井は、ロンドン大学建設学科を卒業し、日本人として始めて英国公認建築士の資格を得た人物である。 ここに居住した長官は、東伏見宮依仁親王以来1945年まで34代31人を数える。 戦後は米国に接収され、在日米海軍司令官等の宿舎となっていたが、1969年我が国に返還され、海上自衛隊横須賀地方総監部が管理する田戸台分庁舎として、内外の高官・要人の接待、各種の会議場として使用されている。 ・この間、1990年代に復元(改修)工事が行われたが、米国の管理時代に改修されていることに加え、予算制約から当初の姿への復元はできていないという。 一般公開は、毎年桜の開花時期である4月上旬に行われている。日程は、海上自衛隊横須賀地方隊ホームページの「イベント情報」にて告知される。 |
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旧長官邸(横須賀地方総監部 田戸台分庁舎)正門 | 正門から見た全景 (手前記念館(暖炉の煙突が見える)) | 正面 |
建物は、玄関口のある洋館部分と、居室である奥の和館部分からなっている。 (洋館) ・玄関から玄関ロビーに入ると、「記念館」とされている玄関脇の暖炉のある元応接間への入口がある。記念館には、執務机と昭和初期に長官を務めた野村吉三郎の胸像が置かれている。 玄関ロビーの右側がリビングルームである。リビングルームに置かれたピアノは、1925年ハンブルク製のスタインウェイで、1929年に帰国した海軍従軍カメラマンから寄贈されたものという。現在でも演奏に使用されている。また、アマチュアの演奏家・演奏団体・合唱団等が実施するピアノの演奏を伴う演奏会及び練習のためにも利用できる。 ・リビングの奥にダイニングルームがある。東郷平八郎の書が架かり、東郷像も置かれている。庭側に一段低くして、サンルームが設けられている。サンルームの上部窓は、イングランドの建築様式であるチューダー様式のチューダー・アーチになっている。 |
玄関 | 玄関と玄関ホール | 玄関ホール |
記念館(玄関脇の元応接室) | 記念館内部 | 野村吉三郎像 |
リビングルーム | リビングルームに置かれた スタインウェイ | リビングルームの出窓 |
リビングから庭園を望む | ダイニングルーム | ダイニングルームの東郷平八郎書 |
ダイニングルームの東郷平八郎像 | ダイニングルーム庭園側サンルーム | ダイニングルームのベイウィンドウ |
(和館) ・洋館の奥は、2階建ての日本家屋になっており、廊下を挟んで庭園側に和室(8畳間)が2部屋配置されている。反対側は、調理場などのバックヤードとなっている。 廊下には、歴代長官31名の顔写真が掲示されていた。馴染みのある名前といえば、2・26事件当時の長官で(参謀は井上成美)、クーデター部隊を「叛乱軍」と断定し、直ちに陸戦隊を東京へ派遣するなどの措置をとり、また、最後の海軍大臣として戦争終結に努力した米内光政であろう。 奥の和室にも東郷平八郎の書がある。「窮理以致其知」とある。 |
和館 | 和室の廊下 | 廊下の米内長官の写真 |
奥の和室 | 東郷平八郎書の掛け軸 | 手前の和室 |
(外観、庭園、ステンドグラス) 洋館は、構造材が外部に露出した木骨造りであるハーフティンバー様式で作られているが、外壁は現在煉瓦タイル張りになっている。 敷地は約13,000uあり、庭園は良く整備されており、見晴らし台からは横須賀市街と走水方面を望むことができる。 また、 建物の随所に見られるステンドグラスは、我が国ステンドグラス作家の先駆者たる小川三知(1867〜1928)の作である。 |
外観 | ||||
正面玄関上のハーフティンバーと ステンドグラスの出窓 | 記念館外壁のハーフ・ティンバーと ステンドグラスの窓 | 庭園から見た洋館 |
サンルーム外観 | リビングとサンルーム外観 | サンルームと ダイニング・ベイウィンドウ外観 |
庭園 |
リビング前庭園 | 東屋 | 見晴台から横須賀市街・走水方面 を望む |
庭園のシャクナゲ |
ステンドグラス | ||||
玄関上部 | 記念館正面側窓上部 | 記念館正面側窓上部 |
ダイニングとサンルームの間の ステンドグラス |
同左サンルーム側ステンドグラス | ダイニングのステンドグラス |
リビングの暖炉上にあったクジャクの ステンドグラス(米軍が外した) |
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