老健体験記



本稿は2023年2月、2回に分けてブログに掲載したものを、この程ホームページを再開したことに伴い、加筆修正のうえ一本にまとめたものである。

(はじめに)
老健=ロウケンというコトバをご存じだろうか。「老健」とは、介護保険法(1997年成立、2000年施行)に規定されている施設で、正式には介護老人健康施設と称し、介護保険の適用を受けて介護サービスを提供する施設である。すなわち、介護保険上「要介護」の認定を受けた者が、「主としてその心身の機能の維持回復を図り、居宅における生活を営むことができるようにするための支援が必要である者に対し、・・・看護、医学的管理の下における介護及び機能訓練その他必要な医療並びに日常生活上の世話を行うことを目的とする施設」と定められている(同法第8条28)。そして、省令による基本方針では、「その者の居宅への復帰を目指すものでなければならない」と、自宅復帰が強調されている。

 筆者は、このホームページに「富岡製糸場」を掲載した一週間後の2022年7月3日未明に何の前触れもな脳梗塞を発症し、近くの総合病院に運ばれ、9日後に市内のリハビリ専門病院に転院、約3カ月にわたりリハビリを受けた。この病院では、退院に至るまで患者一人に理学療法士と作業療法士各一名からなる複数担当制により、土曜日曜も含め毎日3時間のリハビリが行われた。歩行訓練が始まって程なく、リハビリ計画において自力歩行を目標とすることが妥当と判断され、その線で訓練が進んだ。そして、病院のリハビリチームの指導宜しきを得て、比較的順調に回復、2か月後には院内の自力歩行が可能に、その後病院前の急坂でも担当理学療法士の方の付き添い、介助を伴いながらも自力歩行できるまでになり、3か月後には筋力の回復が不十分であるほか、左上下肢、特に手指の不調を抱えてはいるものの、退院の運びとなった。この間、日常生活に何とか戻れるという見通しを得ることができたのは幸いであったが、脳梗塞による半身麻痺は従来から発症後半年を過ぎると回復しづらくなるとされていたことから、何としてもそれまでに、極力リハビリの実を上げスムーズに日常生活へ戻れるようにしたいとの思いは強く、できれば明らかにリハビリ関係において設備、スタッフとも充実していると思われるのに加え、看護、介護、リハビリといった各職種間の情報の共有化がしっかりした態勢が整えられており、かつ長年の結核療養所として患者に寄り添う伝統が蓄積されているためであろう、安心感の持てる雰囲気のよいこの病院でリハビリを続けたいものだと思っていた。しかしここまで回復すると、今の医療制度でそれは困難であることから、発症後半年の後半3か月は近くの老健で過ごし、リハビリに専念することとしたのである。それまでは、老健とはいかなる存在か知る由もなく、その言葉すら知らなかったのである。
(病院下の江ノ島電鉄駅から江の島を望む)

(歩行訓練の場 路面最悪の病院前鎌倉市道の急坂)

 (老健の現実  1 リハビリ)
1 冒頭で述べたように、老健とは自宅で生活できる状態に回復することを目的に、心身の機能回復(リハビリ)訓練や日常生活の介護、心身の機能維持などを行なう施設である。そのため、長期にわたり入所可能ないわゆる特養(介護老人福祉施設)とは異なり、在所期間は3ヵ月を原則とし、定期的に入所継続の判定が行われることになっている。
筆者は、当然のことながら自宅へ帰り、日常生活へ戻ることを想定していたし、老健が病院と自宅の間の中間施設であるという説明を聞き、自宅復帰後の生活を円滑に始められるようこれまで以上に一層リハビリに注力しようと考えていたものである。しかしながら老健におけるリハビリ時間は極めて少ないのが現実であった。

すなわち、現在の制度では入所後3カ月間を短期集中リハビリテーション実施期間としているものの、その内容は週3回以上、1回20分以上のリハビリを受けることが可能であるということに過ぎない。短期集中リハ3ヵ月経過後は、週2回となり、うち1回は、集団で行うことも可とされており、結局リハビリは殆どなくなるというのが実態である。
実際、老健の施設要件では、入所者100人に対し、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士のいずれか1名を置けばよいことになっており、これではまともなリハビリなど期待できる筈がない。もともと高齢者には日常生活動作、いわゆるADL能力の低下がみられるとの前提の下、回復期を過ぎた入所者においては、リハビリをやっても大きな効果はない、と想定されているのではないか(あの日野原重明氏は、100歳を過ぎてからでもリハビリの効果はある、と言われたというが)。
 因みに、筆者の入った施設の短期集中リハビリは週6日、1回30分というもので、スタッフの数も多く老健としてはリハビリに注力している方なのだろうが、そうは言ってもそれまでの1/6に激減したわけであり、これでは、日常生活に戻ることができるのか、不安となり、老健の看板は偽りではないか、リハビリの時間も多く、かつ圧倒的に安い費用で済む自宅から半日コースの通所リハビリに通った方が余程ましだと思ったものである。
確かに、入所してみると9割以上の人は車椅子であり、自立歩行可能な人は筆者を含めて僅か2名に過ぎなかったのである。介護認定でいえば、要介護2(当方の認定)以下は僅かで要介護3以上が過半を占めており(老健全体も同様)、その意味で特養と何ら変わらないのである。そして、多くの人が認知機能の低下を来しているのが実情である。
実際のところ、老健は特養入所までのつなぎで入っている人が少なくないのが現実なのであり、そのため、その平均在所日数は急増している。すなわち、制度発足直後の2000年にはすでに185日に上っていた平均在所日数は、2013年に311日、2019年には518日にまで達しているのである(厚生労働省"令和3年介護サービス施設・事業所調査の概要")。したがって、現在の老健の実態はむしろ特養に近く、「第二特養」ないし「隠れ特養」といった存在になっているのである。而して在所期間3ヵ月は有名無実化どころか、現実は17ヵ月以上という、通常であれば論外というレベルに達しているのであり、このことを公表しながら制度の問題点や矛盾(次回医療の項参照)を放置したままで良いのであろうか、疑問を持って当然であろう。
  それでは、筆者にとって老健は全く無駄だったとかというと、必ずしもそうではない。すなわち、自宅復帰後、雑事も多い実生活に戻ると、有り余る時間をストレッチ等の自主トレーニングに専念できたことが有効であったことが良くよく分かった次第である。リハビリ専門病院のスタッフから肌理細かい指導を受け、自主トレのプログラムや参考図書を教えて貰っていたことが大きかった。感謝にたえない。
一方、多くの車椅子に頼らざるを得ない入所者には自主トレなど困難である。とはいえ、筆者の見たところ、彼らにもっとリハビリの機会が多ければ、車椅子オフの生活に戻ることのできる人も少なくないと思われた。その点は老健のリハビリ担当も同意見だったよう窺えた。そのような意味で現在の老健のあり方が、リハビリ=早期の自宅復帰という本来の目的から逸れた方向に向いていると言わざるを得ないのは甚だ残念と言うほかない。

2 老健の経営について見るに、リハビリを充実させるということは、専用のスペースや設備を整備するとともに、専門スタッフを揃える必要があり、これらは取りも直さずコスト増要因にほかならず、利用料金に反映されることにより、介護保険会計の負担にもつながることから、好ましいことではないという判断が制度設計の背景にあるよう窺えるのである(前述の施設要件)。 また、デイサービスを行うリハビリ施設は、一定のスペースさえあれば簡単に始められるため、供給過剰が指摘されるほど至る所に開設されているものの、肝心の指導に当たる専門の理学療法士も作業療法士もいないケースが驚くほど多い、とりわけ作業療法士は殆んどいないという実情は、以上のような事情(国の姿勢)が関係しているよう思われる。その結果、福祉用具などは必要なく、作業療法士の分野である手指のリハビリをこそ望んでいる筆者の場合には介護保険は役に立たないのである。何のための介護認定か、ということになる。手指のリハビリに関しては、訪問リハビリという手段もあるというが、制度本来の趣旨は通所困難者のためのものであろうから、通所可能な身でありながら敢えて高い費用を負担をし、貴重な介護保険を使うといった道理に合わない行為は避けるべきであろうと考える。
 介護保険制度により、ケアマネージャーがおかれ、仕事も収入も確かなリハビリ施設の世界に新規参入が増えるのは当然であり、うまく競争原理が発揮されれば好ましいことであるにしても、利用する側は、弱い立場にあるだけに注意が必要だ。利用する側すなわち介護される側は、生身の人間で、その状態は千差万別である。リハビリをしてくれる場所の選定に際しては、要介護者の人格を尊重し、何と言ってもその立場に立つ(介護保険法第69条の34)、当人の状態(ニーズ)に最も適合した場所にするべきであろう。福祉用具の選定にしても同様で、あくまで本人の状態・立場に立った過不足ないものというのが肝要だ。半分近くは国費(税金)が投入されている介護保険が無駄なく有効に使われることを期すべきである。 
さて、介護の現場を垣間見た経験から言うと、人間誰しも自分の足で歩きたいのはごく自然なことであり、リハビリで平行棒を使いながらでも歩行の経験をすると自力で立ち上がろうとし、しばしばベッドから落ちたりする事故が起きるのも事実のようだ。週3回落ちた人がいるという話も聞いた。そのたびに介護職員が駆け付けてベッドに戻すのは就中女性の職員にとっては大きな負担である。管理でなく、ケアを貫くには、大声で怒鳴ったりすることなく寄り添う姿勢こそ求められる訳であるが、介護する側も生身の人間であり、現実はなかなか難しいと実感せざるを得ない場面にも遭遇した。

(老健の現実 2 医療)
介護保険法に明定されているように、自宅復帰を目指す入所者に対するリハビリに加え、微妙な表現だが、"医療的"対応は老健の重要な役割である。厚生労働省が社会保障審議会へ提出した資料などを見ても、最近の老健の医療的対応の充実ぶりを報告している。
しかしながら、筆者の体験による受け止め方はやや趣が異なる。入所当初、病院のころから気になっていた血圧を測りたいと思い、食堂の片隅かどこかに血圧計はないか、介護職員に訊ねたところ、「この施設は病院ではないので置いていない」との回答に唖然としたものである。医療機関でないことくらい言われなくとも分かっているわけであるが、国民病とさえいわれる高血圧症である。相当な高齢者ばかりの施設であれば、血圧に留意し、血圧計くらい置いて然るべきであろうし、そもそも血圧計を置くことが医療機関であることの要件でもないし、何を言っているのか理解に苦しむところであった。
 筆者はその後看護師にたびたび血圧測定を依頼していたが、とうとう血圧計を自宅から取り寄せ自分で測るよう言われた。前の病院で降圧剤を服用していたわけでもないし、筆者などよりも医療的ケアを要する入所者への対応で多忙であり、よくやって頂いていたことは理解できるものの、老健によっては、施設要件にはないが毎日血圧測定をしているところもあるようだ。
老健の"医療"に関する筆者の見方はこうである。すなわち、老健は医療機関でないことから、その施設要件により常勤医師の配置は、入所者100名につき1名に過ぎず、これでは勿論医療機能があるとはいえない。一方殆どの入所者は実際のところ所要の薬を継続的に服用しているのであって(自己管理できず「介助服用」が多いが)、薬を常用している以上何らかの疾患に罹っているのは間違いないと考えられる。すなわち、老健入所以前に入院していた病院等からの申し送りなどに基づき老健に在籍する薬剤師が、同じ(同等の)薬を継続的に出し続けるのである。しかしながら、ここには甚だ大きな問題がある。
建前からすれば、老健は病院から自宅へ帰るまでの中間施設であり、入所期間も原則3ヵ月であるから、医療機関受診が必要な場合、緊急の場合以外は、退所後自宅からかかりつけ医に行けばよい、ということになる。しかしながら、前項で述べたように、老健における平均在所日数は2019年には518日に達しているのである。医療の場であれば、一定期間の薬効等のメディカルチェックを行いながら薬継続の可否を判断していくであろうところ、ここ老健は、医療機関ではないことからそのようなことは行われず、ただ薬を出し続けることになる。ここにいる高齢者にとって500日を超える時間は、決して短いものではなく、場合によっては、効果的な薬への変更の機を逸することもあり得よう。また、医療機関ではないため、医師によるタイムリーな診察は困難で、事実上医療的対応が看護師任せになっている現状では病気を見落とすような事態も考えられるのではないか。要するに、老健の諸々の態勢が入所期間3ヵ月を前提とした医療機能を持たない施設のままでありながら、現実の入所期間が17カ月を超えるという事態になっていることが、医療対応の面で問題を引き起こす危険があるのではないか、ということである。老健内部の実態は外からは見えにくいことに加え、入所者が声を上げることは困難なことから、なかなか難しいにしても、いずれこの問題は顕在化するであろうし、病人は入所してないから問題はあり得ない、などとは言っていられなくなるのではないか。老健とは医療をめぐる建前と現実の間においてこのような矛盾を抱えた施設であることに留意しておくことは不可欠と思われる。

(老健の現実 3 生活)
 病院で聞いていたのは、"老健は、病院と自宅=社会の中間施設であり、病院の外という意味では社会の一部であるから、病院よりは自由のはずである"、ということで、売店も病院よりは取扱品目も豊富で、かなり自由なのではないかというそれなりの期待感を持っていたが、現実は全く違っていた。
まず売店はないと聞き、落胆したが(自販機も勿論なし)、老健で出すもの以外は口にしてはならぬということで、病院の売店で買い求めたのど飴も自宅へ持ち帰るよう言われたのには驚いた。退院近くには売店や自販機でコーヒーや野菜ジュースなど自由に求めていたし、間食も了解を得たうえで食していたのである。 介護の仕事は大変なうえ、事故を起こすことは絶対に避けたい、そして介護度の高い入所者の多いまさに第二特養的な実態がある、そのため、要介護度の高い入所者を基準とし、一律に全員に適用されているということであろう。我々のように比較軽度な者にとっては、"ケア"というより"管理"という言葉を想起させる不自由な生活であることは否めなかった。現在の介護保険制度では要介護度に応じた肌理細かい対応ができるほどの余裕はないということかもしれないが、前の病院では激務の中でも患者の意向を尊重し、できるだけ寄り添おうとしている姿勢が随所に感じられただけに、医療と歴史の浅い介護との違いなのか、あるいは個々の運営主体の経営姿勢やカルチャー等の問題なのだろうか、よく分からないというのが正直な感想である。
さて、老健の生活の場は、病院ではないので病室とは言わず療養室と呼んでいたが、病室そのものである。ワンフロア定員50名で、個室(定員2)は2部屋のみ、あとは全て4人部であった。病院が多床室だったので個室を望んだものの、個室は長期在所者が占めており滅多に空かないそうで、結局またもや不自由な4人部屋に。
起床は6時、朝食7時40分頃、昼食11時40分頃、夕食17時40分頃である。朝6時に部屋の電灯が点くと同時にベッド上のストレッチを開始、その後朝食までの時間はNHKテレビ体操みんなの体操と、第一体操を中心とした体操、尻や股関節、肩、肩甲骨周辺の筋肉を意識して体を動かすことなどを日課とした。場所は部屋の外の廊下、エレベーター前のスペース。
また、毎食後は、往復80m近くあろうかと思われる直線の廊下を、ひたすら歩くこととした。麻痺があり重い左足を鼓舞しながら、かつそれが外目からは気が付かないように、一日30往復程度2km強を目標とし、一日も欠かすことなく歩いた。殆どの人が車椅子なので相当目立ったろうし好奇の目も感じたが、人の目を一切気にすることなく必死で歩いた。病院で折角ある程度のところまで回復したリハビリの成果を後退させるのは何としても避けたかった。歩行の後は、スクワット、椅子からの立ち上がり運動を朝夕の日課とした。その後は、空き時間があれば病院の担当作業療法士の方から貰った資料や紹介頂いた図書により、回復が遅れている左腕や手指の運動を絶えず行うことを心掛けた。この間、別フロアのリハビリ室で一日30分のリハビリが行われたが、天気の良い日は、そのうち15分は建物外部の歩行であり、室内は僅か15分。大したことはできないが、部屋のあるフロアから出られるのはこの時だけで、リハビリに関するいろいろな質問をしたりして、気分転換にはなった。
入浴は、男子は、月,木の週2回。大多数の車椅子組は、車椅子対応の浴室へ行くが、筆者ら自力で入浴できる者は、数人用の浴室が用意されている。ただ、病院では退院近くには単独入浴だったのに、ここでは職員がついており、頭を洗え、体を洗え、湯舟は5分といった具合で伸び伸びと入浴を楽しむような雰囲気ではない。
食事は、部屋ごとにテーブルが用意されている。テーブルでの会話は皆無であるが、朝は応答なくとも必ずおはようございます、との挨拶を欠かさぬようにし、食事が終わると日経新聞の朝刊を取りに行き、テーブルで読むことを日課とした。なお、新聞を読む人は必ずしも多くないが、同室の99歳の最高齢者の方は、毎朝6時には必ず車椅子で新聞置場へ出向き朝刊を読むことを日課としておられ、一番元気だった。
食事は前の病院より負担額は多いにもかかわらず、質は落ちた。米飯が美味くない。朝食は軽く、というのは分かるが軽過ぎてすぐにお腹が空いた。また、朝はパンだが、袋入りのアンパンとかクリームパンが出てくるのにはいささか驚いた。子供なら喜ぶだろうが。 当方は、前の病院からの申し送りで、体重が減り過ぎなので、食事は大盛が提供されていたが、大盛だと朝からアンパンが二個出るのには閉口した。以下の画像は、病院と老健の食事の例である。

(ロールパン2ケの老健朝食大盛)

(愕然としたある日の老健夕食)
(敬老の日の病院食)

(季節ごとに工夫の見られる病院食 8月下旬の季節の果物特集)
(季節ごとに工夫の見られる病院食 10月上旬の紅葉御膳)

ただ、私にとっては老健の食事量は少な過ぎ、体重は更に減った。ある介護職員は、毎日歩くから減るのだ、と言うが、歩行ができ、自宅へ帰ることができるようにするのがこの施設の目的でないか。一日中車椅子に座っていたら、歩行が遠のくばかりか認知機能が低下するのも必至なのだということが分かっていないようだ。介護関係者はアンデッシュ・ハンセンの「運動脳」という本(御船由美子訳、サンマーク出版2022)を読むべきだ。
なお、帰宅後今後の健康管理をお願いするかかりつけ医へ行き、血液検査をしたところ、いつも基準値ぎりぎりだったLDLが、80台に下がっていたのには驚いた。入院以来の高脂血症薬に加えて、結果的に体重が増えないという意味で食事療法を行っていたことにより、LDLがコントロールされていたということだろう。しかし、体重が10キロ近く減ったままで、体力は落ちた状態で、血液検査の結果が良くなっただけでは、健康とは言えまい。

(老健の現実 結論)
 筆者個人の狭い短期間の経験であるが、とはいえ制度的には入所期間が建前ながら原則3ヵ月の施設である。結論的な所見の開陳は、経験者として当然許される筋合いのものであろう。
一言でいえば、現代日本の急速な高齢化に対応できていない一つの例であるといえよう。 すなわち、そもそも老健とは病院における急性期を受けた回復期リハビリの後、自宅復帰が可能になるまでのリハビリを行う中間施設であり、自宅復帰が主目的の施設のはずである。その意味からして、制度設計上入所期間は3カ月と定められているのであるが、現実は要介護3以上の人が殆どであり、平均在所期間は17カ月に及ぶという、言い換えれば実質的には特養化しているという実態がある。そのことと表裏一体の関係にあるが、治療を要する病人は入所できないといいながら、継続的な投薬を受けている人が殆どであり、医療体制は短期入所を前提としていることから、場合によっては医療空白といった事態を(言い換えれば、自宅にいた方が的確な医療を受けられる)招きかねないという問題がある。
一方、リハビリについては、介護度の高い人が多いことを前提としたプログラムになっており、自宅復帰を目指す人には甚だ不十分であることから、本来の自宅復帰を推進するという目的に沿った運営には程遠いのが現実である。
ならば、老健などに頼らず、通所リハビリに行けばよいではないか、という向きもあろうが、前述のごとく施設数は多いものの専門のスタッフ就中作業療法士など殆どいないのが実態である。また、介護認定を受けていると医療機関は対応できないという問題もあり、結果として、リハビリも受けられない"リハビリ難民"が発生しており、その数既に200万人に及ぶという話もあるという。
また、日々の生活上は、どうしても介護度の高い人に事故のないようにと、軽度な者にとっては不自由な規制が多くなる。筆者の経験した老健では、のど飴ひとつ口にすることもご法度であった。以前、のどに飴玉を詰まらせるという事故が起きたからだ、との説明であったが、余りにも杓子定規である。
一方、入院していた回復期対応のリハビリ専門病院では、むしろなるべく運動するようにと、歩けるようになれば売店へも行けるし(もちろん症状に応じて看護師付き添いの条件が付く)、洗濯機や乾燥機も用意されており、むしろ老健の役割である日常生活へ戻ることを前提としたハビリの一環としてその使用も推奨されていた。筆者は、自宅の改修中で3カ月滞在したが、職員から、「いつ家に帰るのか」という質問を複数回受けた。
最後に、このような中で働く職員は大変である。敬意を表したいと思う。この制度をより良いものにするための課題は山積しているが、介護スタッフの待遇改善は喫緊の課題である。まず、良い介護職員がいなければ話にもならないのだから。
その際、介護職員には介護保険法第69条の34の規定を絶えず心にとめておいてほしいと思う。
(介護支援専門員の義務)
第69条の34 介護支援専門員は、その担当する要介護者等の人格を尊重し、常に当該要介護者等の立場に立って、当該要介護者等に提供される居宅サービス、地域密着型サービス、施設サービス、介護予防サービス若しくは地域密着型介護予防サービス又は特定介護予防・日常生活支援総合事業が特定の種類又は特定の事業者若しくは施設に不当に偏ることのないよう、公正かつ誠実にその業務を行わなければならない。

この規定は介護支援専門員(ケアマネージャー)の義務を定めたものであるが、この冒頭部分の内容は、介護にあたる際の基本的精神・一丁目一番地を規定したものとして、この法律の冒頭に置くべき性格のものである。介護を受ける人の状態は千差万別で、認知機能に問題のあるケースも少なくない弱い立場にある生身の人間であり、仮に良かれと思って行ったことでも、本人の立場や意向を無視することになることは大いにありうることを十分に配慮し、独断的な対応にならないように介護関係者に求めたものと解することができる。このことは、身近な家族についても言える。家族ゆえの難しい面もある極めて重要なポイントである。 確かに、介護サービスを受ける際に必要ないわゆるケアプラン(正式には"居宅サービス計画書")の書式には、本人同意欄が用意されており、法の規定との整合性が確保されてはいる。その際、要介護者の認知機能に問題がない場合、煩わしくとも本人にその内容を確認して署名を求めることが肝要であり、本人への説明なしの代筆は避けるべきである。

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