別府と周辺 2010









その2 昭和の町、宇佐、湯布院
第2日目
・生憎小雨模様の中、9時半出発。10号線を北上し、日出の街中を抜けると「ハーモニーランド」の看板が見えた。他の多くのテーマパーク同様、経営に厳しいものがあったことは想像に難くないが、経営主体の変更があったものの、継続されているようで、敬意を表したい。
 立石峠を右折して山道を豊後高田の「昭和の町」へ向かう。

( 昭和の町 )
・昭和30年代の町を再現した豊後高田の「昭和の町」は、いわゆる「レトロテーマパーク」のひとつで、地方の小都市における町おこしの成功例である。
 昭和30年代をテーマにしたテーマパークは、1996年にオープンした東京池袋のサンシャインシティ内「ナムコナンジャタウン」が嚆矢ではないかと思う(現在は餃子自慢商店街)。その後、2002年に東京臨海副都心のデックス東京ビーチに「台場一丁目商店街」がオープンし、いずれも話題になった。そのほかにも、各地に相当数のレトロテーマパークがあるようだ。
・テーマパークのみならず、映画などでも昨今昭和30年代ものが流行っている。あの時期社会人になった人達や、子どもだった年代がリタイアし、昔を懐かしむということであろうが、今のように豊かではないものの、日本全体が目標を持ち、上昇志向に燃えていた、活気のある時代だったからこそ、懐かしいのではないか。バブル経済に熱狂したり、翻弄されて自分を見失ったことへの反省もあろうが、より基本的には、30年代以降の高度成長の過程で、東京、大阪などへ人口が集中するなどして社会構造に大きな変化があったにも拘らず、新しい連帯感のある社会になっていないことが背景にあるような気がする。
・「昭和の町」は、2001年から着手され、2006年頃から広く知られるなったらしい。合併前の旧市内の人口が2万人足らずのところ、20万人を超える来街者があるという。それまでは商店街は寂れる一方で、建物の7割以上が昭和30年以前に建てられたものというから、およそ外から人が来るような街ではなかったはずであるが、その寂れきったところを逆に売り物にしたわけである。既存商店街の他に、新たに「昭和ロマン蔵」という室内型誘客施設を設置しているが、これも古い倉庫を利用したもので、極めて軽装備である。従って、投下資本は僅少で、他のテーマパークのように資金面から破綻する心配もないといえよう。
(写真はクリックで拡大します。)
駅通り商店街   新町商店街   ボンネットバス
商店街の風景(駅通り)  商店街の小路風景(新町)  ボンネットバス
昭和ロマン蔵入口   ロマン蔵・電飾
昭和ロマン蔵入口  ロマン蔵・電飾 
ロマン蔵・電飾   食堂   煙草屋
ロマン蔵・電飾  食堂  煙草屋
駄菓子屋夢の博物館入口   駄菓子屋   駄菓子屋店頭
駄菓子屋夢の博物館  駄菓子屋  同左店頭
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( 宇佐 )
・国道213号を10分程度で、宇佐八幡宮に着く。前回は、2005年3月だったので5年ぶりだが、それ以前に来たときの紅葉が綺麗だったのが一番印象に残っている。パソコンの扱いの手違いで多くの写真が消えてしまったが、ここの写真も残っていないのが残念である。
 表参道から鳥居を入ったすぐ左に蒸気機関車が展示されているが、以前からあったのかどうか、記憶にない。全体が真新しい雰囲気なので、最近のことかもしれない。1891年ドイツ製で、元は国鉄所有であったが、大分交通に譲渡され、昭和23年から宇佐参宮線(神社前〜日豊本線宇佐駅〜豊後高田)で昭和40年に廃止されるまで使われていたそうだ。
・宇佐八幡近くの宇佐風土の丘にある「大分県歴史博物館」を見学しようとしたが、本日は休館日ということで、建物外観だけで引き返した。
 宇佐別府道路の宇佐入口手前に「鷹栖観音」の標識があり、寄ることにした。小さなクルマ一台がやっと通れるような、川岸の道を行くのだが、ガードレールなどもちろん無いし、手掘りで岩をくり貫いたような狭いトンネルを通らなければならず、一寸怖かった。この観音堂は、奈良時代に造られたもので、後背部を岩山の中腹にもたせ掛け、前面を長い柱で支える「懸造り」と呼ばれる建築様式によっている。平安時代作の木彫りの像が安置されている。後で調べたら、川の対岸の県道沿いの観音寺の奥の院であり、観音寺から橋を渡って来るのが通常かつ安全なルートらしいことが分かった。無事離れることが出来、安堵した次第。
神橋   西大門   本殿
神橋  西大門  本殿(二之御殿)
宇佐参宮線26号機関車   宇佐参宮線26号機関車説明板   大分県立歴史博物館
宇佐参宮線26号機関車  同左説明板  大分県立歴史博物館
鷹栖観音堂   鷹栖観音堂   鷹栖観音堂
鷹栖観音堂  同左  鷹栖観音堂説明板
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( 湯布院 )
・宇佐から湯布院へは、宇佐別府自動車道・速見ICから大分自動車道へ入り、湯布院ICまで30分強と想定していたが、安心院を過ぎる辺りから霧がかかり始め、速見、日出付近は濃霧で右側の黄色いラインを頼りに運転する他ないような状態になった。湯布院方面は一貫して右車線を走ればよいのは幸いだった。車線変更はとても危険な状態だったと思う。一旦追突事故が起きたら、数十台の玉突き事故になった可能性もあり、鷹栖観音に続いてヒヤヒヤが続いた。この区間は、濃霧で有名らしく、我々が通った後、翌日まで通行止めになったそうだ。結果、国道10号は大変な渋滞となった。
・湯布院は本格的な雨になった。湯布院で雨になったのは初めてである。狭い湯の坪街道に入り、旅館「玉の湯」の売店「由布院市」で「柚子こしょう」を求める。関東の人には馴染みがないかもしれないが、柚子こしょうは風味が良く、大抵の料理に合う優れものである。数ある中で、玉の湯のものが最も質が良いように思い、愛用している。湯布院へ寄ったときは必ず買って帰ることにしている。次に、別の店で柚子茶を買う。柚子茶もいろいろあるが、ここの「ゆずっ子」に決めている。以前は別府市内や福岡でも求めることができたが、現在はここだけである。
・湯の坪街道は、狭い通りに観光客相手の店が並ぶ、人通りが多いところで、鎌倉の小町通りのような感じもあるが、全体がゆったりとした雰囲気・風情が感じられる湯布院の中で余り違和感を感じない。いずれにしても、雨で由布岳も見えないどころか、写真撮影すら儘ならない状態だ。
 この近くで休憩するとしたら、玉の湯の「ニコルズバー」が、静かで、空気の良い林の中でコーヒーを飲む感じで気に入っているが、中心部から離れた鳥越地区へ行くこととする。
玉の湯庭園   ギャラリー無量塔(むらた)・鄭東珠作品室   珈琲HAMANO
玉の湯庭園  GALLERY無量塔・鄭東珠作品室  珈琲HAMANO
・まず、「GALLERY無量塔」へ。玉の湯と並ぶ 湯布院最高級旅館の一つ「山荘無量塔(むらた)」のオウナーが、画家・書家の鄭東珠氏を招いて開設したギャラリーであり、「チョントンジュ作品室」と称されている。4年前に伺ったとき、鮮烈な印象を持ったので、今回も是非寄ろうと思っていた。平面的な絵画ではなく、和紙に数十回重ね塗りをするとか、キャンバスに石膏を塗って立体感のある作品にするといった手法で、特に鮮やかな深みのあるブルーには感動させられる。また、墨象画は素人目にも躍動感のある素晴しいものと思う。
 お茶は、「無量塔」の"Tan's bar"か、"HAMANO"かと迷った挙句、前回も寄ったHAMANOにした。アットホームな雰囲気と、あの凄いオーディオ装置で何か聴かせてもらおうと思ったのがその理由である。評判のチーズケーキも頂いてみたかった(評判どおり美味しかった)。喫茶スペースから、オーディオルームに置かれたグレングールドのレコードが眼に入ったので、このレコードでバッハを聴かせて頂き、満足して帰途についた。


第3日目
・昨日からの雨は止みそうもないことから、早い便で帰京することにした。高速道路の霧による通行止めは今朝も続いており、福岡行きや長崎行きの高速バスは、湯布院まで一般道路(やまなみハイウェイ)を行くそうだ。空港行きのバスは、10号線の混雑により、ダイヤ上は40分のところ、約1時間を要した。
別府では第12回アルゲリッチ音楽祭が開催中であり、適当なマチネーコンサートがあれば聴くことも考えたが、本日は演奏会の予定はなかった。空港には、音楽祭の大きなポスターが掲示されていた。   (2010.4.25記)
アルゲリッチ音楽祭ポスター

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