横須賀港



軍港めぐり、護衛艦「いずも」 ヴェルニー公園 記念艦三笠
軍港逸見門衛兵詰所
軍港逸見門衛兵詰所(大正末〜昭和初期築)
(国道134号に面する公園入口、クリックで拡大)
 ヴェルニー公園
・「ヴェルニー公園」は、JR横須賀駅前から横須賀本港の最奥部までの約500mに亘る臨海部の公園である。
この地域は1865(慶応元)年に江戸幕府が「横須賀製鉄所」として建設を開始し、明治維新後我が国官営造船所の嚆矢となった「横須賀造船所」があった所である(完成1871年)。
当園は、横須賀製鉄所建設のために招聘された、フランス人技術者F.L.ヴェルニー(1837〜1908)の名を冠した公園として整備したもので(2001年)、バラ園と言ってもよく、110種類、2000本のバラが植えられている。海岸沿いは板張りの遊歩道(ウッドデッキ)となっており、気分よく散策できる。
・「ヴェルニー記念館」は、我が国産業近代化の基礎ともなった、横須賀製鉄所建設の責任者ヴェルニーの功績を記念して、2002年に開設した。
展示品の中には、「横須賀製鉄所」以来海軍工廠を経て米軍横須賀基地でも使用されていた、国指定重要文化財の1865年オランダ製スチームハンマー(鍛造機械)が展示されている。このうち3トン門型ハンマーは、1997年まで米軍で稼働していた。また、0.5トンは1971年に横須賀市に移管された。
     
ヴェルニー記念館  オランダ製門型3T
スチームハンマー
  オランダ製門型0.5T
スチームハンマー
・ヴェルニーを招き、横須賀製鉄所の建設を推進したのは、外国奉行や勘定奉行の要職を歴任した江戸末期の幕臣小栗上野介忠順(1827〜1868)という人物である(注)
(注)小栗上野介(1827〜1868)は、日米修好通商条約の批准書交換のための使節団の一員として渡米した際、米国海軍工廠などを見学し、その製鉄並びに造船技術に驚愕し、我が国の海軍力増強を幕府に建言したものである。
・横須賀造船所は、その後帝国海軍の海軍工廠になり、現在は大部分が米海軍の基地になっているが、横須賀造船所時代のドックは、現在も米軍が修理などに使っている。
向かって建屋の左が3号、右が2号ドックで、鋼鉄製のゲートが見える。1号は2号の右側にある。竣工は、1号ドック:1871、3号ドック:1874、2号ドック:1884年であり、造船分野で「近代化産業遺産」に認定されている、横浜みなとみらいのドックの竣工(1896年)よりずっと前であり、本来「近代化産業遺産」として認定されるべきものである。
 また、2015年に世界遺産に登録された三菱長崎造船所3号ドックの完成はさらに遅く、1905年である。

 
ヴェルニー像   小栗上野介像
   
2,3号ドック  1号ドック   1号ドック(手前)、2号ドック俯瞰
(ヴェルニー公園案内板) 
   
園内の様子  同左  同左 
   
園内の様子  同左  同左 
・公園内汐入桟橋寄りに、海軍関係の碑が建立されている一角がある。
"長門"は呉で建造され、横須賀鎮守府所属だった。"山城"は、横須賀で建造。
"沖島"は、旧日本海軍最大の敷設艦である。補助艦が話題になることは少ないようだが、1942年5月南方で雷撃により沈没した。
   
海軍の碑  軍艦長門碑  軍艦山城之碑 
軍艦沖島の碑 
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 旧横須賀鎮守府司令長官官舎
・旧帝国海軍横須賀鎮守府司令長官の官舎は、1913年(大正2年)現在の京浜急行県立大学駅背後の東京湾を一望する高台に建設された。
この官舎の企画設計は、当時の横須賀鎮守府建築科長桜井小太郎が行った。桜井は、ロンドン大学建設学科を卒業し、日本人として始めて英国公認建築士の資格を得た人物である。
ここに居住した長官は、東伏見宮依仁親王以来1945年まで34代31人を数える。
戦後は米国に接収され、在日米海軍司令官等の宿舎となっていたが、1969年我が国に返還され、海上自衛隊横須賀地方総監部が管理する田戸台分庁舎として、内外の高官・要人の接待、各種の会議場として使用されている。
・この間、1990年代に復元(改修)工事が行われたが、米国の管理時代に改修されていることに加え、予算制約から当初の姿への復元はできていないという。
一般公開は、毎年桜の開花時期である4月上旬に行われている。日程は、海上自衛隊横須賀地方隊ホームページの「イベント情報」にて告知される。
(写真はクリックで拡大します。)
   
旧長官邸(横須賀地方総監部
田戸台分庁舎)正門
  正門から見た全景
(手前記念館(暖炉の煙突が見える))
  正面 

建物は、玄関口のある洋館部分と、居室である奥の和館部分からなっている。
(洋館)
・玄関から玄関ロビーに入ると、「記念館」とされている玄関脇の暖炉のある元応接間への入口がある。記念館には、執務机と昭和初期に長官を務めた野村吉三郎の胸像が置かれている。
玄関ロビーの右側がリビングルームである。リビングルームに置かれたピアノは、1925年ハンブルク製のスタインウェイで、1929年に帰国した海軍従軍カメラマンから寄贈されたものという。現在でも演奏に使用されている。また、アマチュアの演奏家・演奏団体・合唱団等が実施するピアノの演奏を伴う演奏会及び練習のためにも利用できる。
・リビングの奥にダイニングルームがある。東郷平八郎の書が架かり、東郷像も置かれている。庭側に一段低くして、サンルームが設けられている。サンルームの上部窓は、イングランドの建築様式であるチューダー様式のチューダー・アーチになっている。
   
玄関  玄関と玄関ホール  玄関ホール 
   
記念館(玄関脇の元応接室)  記念館内部  野村吉三郎像
   
リビングルーム  リビングルームに置かれた
スタインウェイ
  リビングルームの出窓 
   
リビングから庭園を望む  ダイニングルーム  ダイニングルームの東郷平八郎書 
   
ダイニングルームの東郷平八郎像  ダイニングルーム庭園側サンルーム  ダイニングルームのベイウィンドウ 
(和館)
・洋館の奥は、2階建ての日本家屋になっており、廊下を挟んで庭園側に和室(8畳間)が2部屋配置されている。反対側は、調理場などのバックヤードとなっている。
廊下には、歴代長官31名の顔写真が掲示されていた。馴染みのある名前といえば、2・26事件当時の長官で(参謀は井上成美)、クーデター部隊を「叛乱軍」と断定し、直ちに陸戦隊を東京へ派遣するなどの措置をとり、また、最後の海軍大臣として戦争終結に努力した米内光政であろう。
奥の和室にも東郷平八郎の書がある。「窮理以致其知」とある。
   
和館  和室の廊下  廊下の米内長官の写真
   
奥の和室   東郷平八郎書の掛け軸  手前の和室

(外観、庭園、ステンドグラス)
洋館は、構造材が外部に露出した木骨造りであるハーフティンバー様式で作られているが、外壁は現在煉瓦タイル張りになっている。
敷地は約13,000uあり、庭園は良く整備されており、見晴らし台からは横須賀市街と走水方面を望むことができる。
また、 建物の随所に見られるステンドグラスは、我が国ステンドグラス作家の先駆者たる小川三知(1867〜1928)の作である。
外観
   
正面玄関上のハーフティンバーと
ステンドグラスの出窓 
  記念館外壁のハーフ・ティンバーと
ステンドグラスの窓
  庭園から見た洋館
   
サンルーム外観   リビングとサンルーム外観  サンルームと
ダイニング・ベイウィンドウ外観
庭園
   
リビング前庭園  東屋   見晴台から横須賀市街・走水方面
を望む
庭園のシャクナゲ
ステンドグラス
   
玄関上部   記念館正面側窓上部  記念館正面側窓上部
   
ダイニングとサンルームの間の
ステンドグラス
  同左サンルーム側ステンドグラス  ダイニングのステンドグラス
リビングの暖炉上にあったクジャクの
ステンドグラス(米軍が外した)


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 記念艦三笠
・戦艦三笠(1902年英国にて建造)はワシントン軍縮条約により廃艦されることとなり、1923年9月帝国海軍から除籍された。当初は解体される予定だったが、保存運動を受け、現役に復帰できない状態にすることを条件に保存されることが特別に認められ、1925年記念艦として、横須賀に保存することになった。
・第二次世界大戦後は、米兵向けキャバレーになったり、艦上に水族館が出来たり、また金属類が持ち去られるなど荒廃していたが、米海軍ニミッツ提督などが復元保存を主張したことなどから、最終的には復元保存することとなった。保存工事は1961年に行われ、公開する運びになったものである。地上に固定されており、あくまでも船舶ではなく、展示施設である。中甲板は、展示室になっており、日本海海戦資料やパノラマ模型などが展示されている。
保存地と周辺37千uの国有地は、「水と光と音」をテーマにした三笠公園として整備されている。
東郷司令官像)  船首  船尾
東郷司令官像  船首  船尾(スターン・ウォークと呼ばれる
艦長用の回廊がある)
上甲板・煙突)  艦橋操舵室  艦橋操舵室内部
上甲板・煙突  艦橋操舵室  艦橋操舵室内部
最上艦橋)  最上艦橋から船首、30センチ砲を見る  30センチ砲正面
最上艦橋  最上艦橋から
船首、30センチ砲を見る
  30センチ砲正面
船首飾り  艦長公室  艦長室
船首飾り(1968年に取り外して展示)  艦長公室  艦長室
中甲板船首の講堂  中甲板中央展示室の東郷書
中甲板船首の講堂  中甲板中央展示室の東郷書
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 軍港めぐり、護衛艦「いずも」
1 軍港巡り
・軍港巡りは、(株)トライアングルという民間企業によるクルージングツアーで、横須賀港を船で巡り、米国海軍第7艦隊や海上自衛隊の艦船基地を間近に見学するものである。
出航地は、京浜急行汐入駅から近いヴェルニー公園東端の汐入桟橋である。以前は、記念艦三笠前の猿島行き桟橋から出航していたが、汐入桟橋へ移ってからアクセスが良くなった。そのため、人気が上昇し、船もターミナルも面目を一新している。最近はかなり前でないと、予約が取れないようだ。ただ、天気が良ければ、展望デッキが使用可能となる分定員増となり、当日券が用意される。所要時間は45分である。

軍港巡りmap


・出航すると、左側ヴェルニー公園の対岸は米軍基地であり、横須賀製鉄所以来のドックが見える。 ドックの並びに、何か技術上の理由があるのであろう、大抵日本の潜水艦が停泊している。日本の海上自衛隊が米軍基地を利用しているのは潜水艦だけである。
汐入桟橋  軍港巡りの船舶(Sea Friend X)  旧横浜製鉄所(海軍工廠)船渠
汐入桟橋  軍港巡りの船舶
(Sea Friend X)
  米軍基地になっている
旧横浜製鉄所(海軍工廠)船渠
米軍エリアに停泊する日本の潜水艦  日本の新造潜水艦(供用開始すると番号は消去される)
米軍エリアに停泊する日本の潜水艦  日本の新造潜水艦
(供用開始すると番号は消去される)
・その先のイージス艦、宿泊施設となるホテルシップを過ぎて、広い横須賀本港へ出ると、空母専用の12号バースがある。2015年5月までは、「ジョージ・ワシントン」(原子力空母、全長333m、幅78m、104千排水トン)、10月からは「ロナルド・レーガン」(同、全長333m、幅76.8m、101千排水トン)の停泊地である。
イージス艦  ホテルシップ
イージス艦  宿泊艦(ホテルシップ)APL40
原子力空母<br>「ジョージ・ワシントン」  原子力空母<br>「ジョージ・ワシントン」
原子力空母
「ジョージ・ワシントン」
  同左
原子力空母<br>「ロナルド・レーガン」  原子力空母<br>「ロナルド・レーガン」
原子力空母
「ロナルド・レーガン」
  同左
・左側の我妻島(日米共同利用の倉庫地区)を回り込むと、前方は民有地の工業地帯で、みなとみらいの高層ビルからでもよく見える、住友重機械の巨大クレーンが見えてくる。隣接するのが日産自動車追浜工場で、専用埠頭に自動車運搬船(PCC)が停泊していた。その先に、一見ホテルのような洒落た建物があるが、横須賀市の「リサイクルプラザ・アイクル」という施設で、分別収集で排出された資源ごみのリサイクル対応の中間処理を行っているそうだ。
住友重機械横浜製造所  日産専用埠頭に停泊する自動車運搬船  リサイクルプラザ・アイクル
住友重機械横浜製造所の
門型クレーン
  自動車運搬船 Violet Ace
(Bahama船籍 、49,708総トン)
  リサイクルプラザ・アイクル
・この先が海上自衛隊の艦船が停泊する長浦港であるが、小さな湾だ。横須賀とは圧倒的に米国第7艦隊の基地であることがよく分かる。ここには、海洋観測艦、掃海母艦、、掃海艦、掃海艇が停泊している。なお、停泊していた掃海艦及び掃海艇は、機雷への対処任務に当るため、磁気反応型機雷を避けるべく、前者は木造、後者は強化プラスチック製である。
本土と我妻島は地続きだっが、長浦港と横須賀本港を結ぶために掘削したのが新井掘割水路である。ここを通ると、海上自衛隊横須賀地方隊の本部前の地区となる。
迎賓館的な機能を持つ特務艇、ソマリアの海賊対処行動から帰任した護衛船、ミサイル護衛艦(イージス艦)などが停泊していた。ここには、吉倉桟橋という長い桟橋があり、砕氷船「しらせ」が南極から帰って来ていた。新護衛艦「いずも」も、ここへ停泊する。
海洋観測艦「わかさ」2,050トン、「にちなん」3,350トン)  掃海母艦「463うらが」5,650トン  掃海艦「301やえやま」、「302つしま」各1,000トン
海洋観測艦「5104わかさ」2,050トン
「5105にちなん」3,350トン
  掃海母艦「463うらが」5,650トン  掃海艦「301やえやま」、「302つしま」
各1,000トン)
掃海艇「えのしま」、「はつしま」  新井掘割水路入口  迎賓艇「おおなみ」400トン
掃海艇「604えのしま」「606はつしま」
各570トン
  新井掘割水路入口  迎賓艇「91はしだて」400トン
護衛艦「おおなみ」4,650トン  ミサイル護衛艦(イージス艦)「あたご」7,700トン  砕氷艦「しらせ」12,650トン
護衛艦「111おおなみ」4,650トン  ミサイル護衛艦(イージス艦)
「177あたご」7,700トン
  砕氷艦「しらせ」12,650トン
護衛艦「116てるづき」5,000トン  潜水救難艦「405ちよだ」3,650トン  汐入桟橋を望む
護衛艦「116てるづき」5,000トン  潜水救難艦「405ちよだ」3,650トン  汐入桟橋を望む
仏海軍情報収集艦
「デュプイ・ド・ローム」
(2017年7〜8月寄港)

2 護衛艦「いずも」一般公開(よこすかYYのりものフェスタ2015)
 護衛艦「いずも」は、2015年3月に就役した横須賀を母港とする海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦いずも型の1番艦である。太平洋戦争期の航空母艦「蒼龍」を上回る規模を有する海上自衛隊史上最大の自衛艦である。建造費は1139億円。
就役直後の2015年6月、"よこすかYYのりものフェスタ2015"で一般公開された。諸元は、以下の通り。
基準排水量   19,500t
全長   248m、 全幅  38m、 高さ  49m、 喫水  7m 
主機   ガスタービン4基(112千馬力)、  速力  30ノット(55km/h)
工期   起工 2012.1.27、進水 2013.8.6、就役 2015.3.25
造船所  ジャパンマリンユナイテッド(JMU)磯子工場

(追記)2017年3月2番艦「加賀」が就役した。母港は佐世保である。建造費1155億円

(写真はクリックで拡大します。)
護衛艦「いずも」プレート  海自ホームページより  ヴェルニー公園から
護衛艦「いずも」プレート  上空から(海自ホームページより)  ヴェルニー公園から見た全景
桟橋から艦橋を望む  航空機用昇降機  右舷甲板の航空機用昇降機上のヘリコプター
桟橋から艦橋を望む  航空機用昇降機(甲板上のヘリが
降りて船腹に格納される)
  右舷甲板の航空機用昇降機上の
ヘリコプター
甲板中央部の航空機用昇降機  甲板中央部の航空機用昇降機  甲板中央部の航空機用昇降機
甲板中央部の航空機用昇降機
(甲板が船腹へ下りた状態)
  同左
(見学客を載せて移動中)
  同左(昇降機に乗り船腹レベルから
艦橋を見上げる)
甲板上の様子(船首側から)  甲板上の様子(船尾側から) 
甲板上の様子(船尾側から)  同左(船首側から) 
船首から汐入桟橋方面を望む 
船首からヴェルニー公園、
汐入桟橋方面を望む
 
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