2007春の沖縄、史跡・戦跡巡り(その2)
第3日目(2/17)
( 久高島 )
・南部の知念沖の久高島へ向かう。旭橋の那覇バスターミナル9:03発の東陽バスで、知念半島の安座間まで行き、フェリーに乗って10:20に久高島着。この日が旧暦の大晦日で、多分帰郷の人達であろう、結構お客さんは多かったが、観光客らしい人は僅かであった。
 久高島は、琉球の祖神アマミキヨが降り立ったという伝説があり、周囲8kの小さな島全体が神の領域とされ、信仰の対象とされてきた。今でも人は、南部の僅かな土地にしか住まない。琉球王府もこの島を神の島として崇めてきたが、第二王統第三代尚真王は、琉球統一の一環として、ノロ(神女)が各地方の村単位で祭を管轄する全国的な祭祀組織を確立し、統治の手段とした。島内には聖地が散在するが、今でも女性が守護神で、男子禁制、祭りも全て神女が行う。また、昭和30年代までは、風葬が残っていたが、心無いカメラマンの墓荒らし事件があり、行われなくなったという。その他土地の共有制など、民俗学的には大変重要な地のようだ。人口は200人程度で漁業が生業となっている。
・港の近くで貸自転車を借りて、最北端のカベール岬へ向かう。今日の観光客は我々を含め、10人位のものではないか。室蘭から来た老夫婦がおられた。道路はほぼ平坦で、自転車が走るには十分な幅がとられている。この岬の岩場に祖神が降り立ったと信じられているのであろう。周り一帯は、様々な植物が群生している。この島に多いのは、クバ(ビロウ)やアダンであるが、何れも祭祀で使われるという。
カベール岬   カベール岬   カベール岬で
カベール岬  カベール岬  カベール岬で

・東側の海岸は綺麗な砂浜らしいが(泳いではいけないし、砂などを持ち帰ってもいけない)、寄らずに島最高の聖地「クボー御嶽(うたき)」を覗き(当然男子禁制)、集落へ戻る。狭い島だが標識など何もなく、集落の中の道は迷路のようで意外に分かり難いところである。
 「イザイホー」の舞台「久高殿」へ。イザイホーとは、30〜41才の女性がノロを頂点とする島の祭祀組織に加入し、神女(ナンチェ)に生まれ変わる儀式(成巫式)である。12年毎(午年)に行われていたが、1978年を最後に行われていない。儀式を行う広場の脇に建物が3棟建てられており、中央の建物が神アシャギと呼ばれ、神の世界とこの世との境界とされている。裏の林は聖域で入ってはいけない、ここに神が来られるということであろう。なお、左側の建物は、名産であるイラブー(ウミヘビ)の燻製小屋である。
 久高殿に程近いところに、久高殿と並ぶ二大祭場のひとつ「外間殿」がある。いろんな神様が祀ってあり、旧正月の祭もここで行う。明日が元日なので、一日後であれば祭りが見られたかもしれないが、そもそも古代から続く深い信仰の島の祭りは、祈りの場であって、見物するものではないのかも知れない。13時のフェリーで安座間へ戻る。
久高殿   外間殿   島の道
久高殿  外間殿  島の道
島の道   徳仁港   久高島西側を望む
島の道   徳仁港  久高島西側を望む

( 斎場御嶽 )
・安座間港にはタクシーがなく、バスも来ないので国道を徒歩で「斎場御嶽(せいふぁうたき)」へ向かう。海岸がなくなり崖を登る形なので、距離は3km程だが汗をかく。途中、久高島が目の前に見える見晴らしの良いところにレストランがあり、遅い昼食と休憩で一息をついた。
・この斎場御嶽も、尚真王が国家的な祭祀の場として整備したもので、中央集権的支配を信仰面から支える役割を果たした。沖縄本島最高の霊場である。巨大な岩と岩の間の先に「三庫里(さんぐーい)の崇拝場所」という礼拝所がある。そこには、海を渡って久高島へ行くことなく、聖地久高島を遥拝する場所が設けられいる(それまでは王も久高島へ行っていた)。斎場御嶽も昔は男子禁制で、王しか入れなかった。2000年の世界遺産登録後、駐車場や国道からの取付け道路の整備が進み、観光地化してきた。観光バスの団体客が多い。
 バスで那覇まで戻ったが、那覇に近づくとひどい渋滞となり、1時間半以上かかった。夕食は再び牧志公設市場2階、今度は別の店にしたが、前回の方が美味しかった。
斎場御嶽入口   三庫理の崇拝場所   久高遥拝所
斎場御嶽入口  三庫理の崇拝場所  久高遥拝所

第4日目(2/18)
( 辺戸岬へ )
・今日は旧暦の元日だが、最近では殆ど旧暦の正月は行われていないらしい。今日から北部を回る計画だが、どんな感じなのか。おもろまちからレンタカーで8:40出発した。
 沖縄自動車道那覇インターから、終点の許田まで行き、国道58号を北上する。名護市を抜けると、北部の森と山のやんばる(山原)といわれる地域に入る。本島の最北部は国頭(くにがみ)村で、日本航空のリゾート施設があるオクマ近くの道の駅「ゆいゆい国頭」で休憩。客は誰もいない。さらに北上し、最北端の少し手前から崖地を登り「茅打バンタ」へ到着。高さ80mの断崖の景勝地だが、ここも誰もいなかった。晴れていれば素晴しい展望なのだろうが、生憎曇りで、感動するほどの景色ではないので、下の漁港から崖の高さを確認した。海岸に貝殻が沢山あったので、貝殻の好きな孫の土産に収集する。なお、バンタとは崖のこと。
・沖縄本島最北端の辺戸岬に着いたのは12時少し前だった。サンゴ質の断崖絶壁の上の台地で、晴れた日には、約20km先に 本土最南端の鹿児島県与論島が望めることから、かっては復帰運動を象徴する場所になっていた。復帰に際し、祖国復帰闘争の記念碑が立てられた。マイクロバスその他何組かの観光客が来ており、ドライブインも営業していたので、沖縄ソバで昼食。
茅打バンタにて   海岸から茅打バンタを望む   復帰闘争碑
茅打バンタにて  海岸から茅打バンタを望む  復帰闘争碑

・国道58号線は、辺戸岬から東側を南へ下るが、少し行くと、やんばるくいなの巨大な像が設置されている「やんばるくいな展望台」がある。展望台へ昇ると辺戸岬の全景が見える。
 58号線はこの先の奥という集落までだが、この間数キロに渡って見事な桜並木が続いている。隠れた名所ではないかと思うが、観光案内等には載っていないようだ。奥はその名の通り、本島で最も北の集落で、道路が整備されるまでは本島内部へ行くにも船舶を利用していた。沖縄には、日用品の共同購入と生産物の共同販売を行う共同売店という施設があり、今でも山間部や離島にあるようだが、この奥集落がその発祥の地である。共同売店の存在により、外来者からの搾取を防ぎ自らの生活基盤を守ることで、村落の維持に成功してきたと言われている。
辺戸岬   辺戸岬を望む   やんばるくいな像
辺戸岬  辺戸岬を望む  やんばるくいな像

( やんばるくいな観察小屋、海水揚水発電所 )
・奥集落から南は県道になる。奥から南の県道が舗装され、現在のように整備されたのは、1980年代に入ってからで、漸くやんばる地域の一周が可能になった。海側は断崖のようだが、樹木に遮られて海は全く見えない。車はごく少ない。またこの先、東村まで信号がない。
 南下して安田というところにある、県の乳用牛育成センターに併設された「やんばるくいな観察小屋」に寄る。野生なので、森の中にカメラを設置し、観察するという仕組みだが、残念ながらやんばるくいなは見られなかった。6月ごろの繁殖期になると、道路でも見られることがあるという。
・国頭村の南端に「沖縄やんばるくいな海水揚水発電所」がある。河川ダムを使った揚水発電は少なくないが、海水揚水によるものは世界でここだけであり、以前から見学したいと思っていた。
 この発電所は、(旧)通産省が電源開発(株)に委託して建設し、2004年からは同社が引継いで運転中である。断崖の上と海面との落差136mを利用している。出力3万kwで、建設費は300億円というから経済ベースに乗らないことは明らかで、それゆえ通産省が直接財政資金(エネルギー関係の特別会計)を使って建設したのであって、技術開発的な意味合いも大きく、経済性だけでこのプロジェクトを評価するのは誤りであろう。化石燃料を使わない発電方式として、自然環境との調和を図りつつ、コストの低下を期待したいが、立地的には海外に適しているのではないか。地上から-150mのレベルまで下り、放水口まで行った。地下の巨大構築物である。地上には大きな調整池があるが、急に雨が降り出し、見学は取りやめた。
奥共同店   海水揚水発電所
奥共同店  海水揚水発電所放水口
( 慶佐次湾のヒルギ林 )
・東村に入り村の中心部を抜け、国指定の天然記念物「慶佐次湾のヒルギ林」を見る。慶佐次川河口に群生する、本島最大のヒルギ(マングローブ)林であり、確かに一見に値する景観である。西表の仲間川を思い出す。ここも、公園として綺麗に整備され、ヒルギを間近で観察できるよう、水面にかかる歩道橋なども設置されている。なお、ここにも共同売店があった。
・県道は東村の中心部から国道331号になる。海伝いに行くとジュゴン生息地北限といわれている大浦湾に出る。大浦湾の南端が、ここの沖に普天間飛行場を移転しようとしている辺野古崎である。所々に反対のビラが貼られていた。随分永い間揉めているようだが、どうみてもひどい自然破壊だ。ジュゴンの他、珊瑚もやられることは間違いない。ここから山越えをして名護湾に出て、国道58号を暫く行き、本部半島へ向かう。
 今日の宿は、半島中程の海岸に面したプチホテルである。客室を出ると、すぐ砂浜になっている。夏は大変人気の高い施設だと思うが、この季節客はまばらだ。レストランで夕食。客が少ないせいか、マスターが出てきてラフテーの作り方などのお喋りをする。
慶佐次のヒルギ   慶佐次のヒルギ   慶佐次のヒルギ
慶佐次のヒルギ林  慶佐次のヒルギ林  慶佐次のヒルギ林

第5日目(2/19)
( 美ら海水族館 )
・最初に本部半島先端の海洋博記念公園の中にある「沖縄美ら海水族館」へ行く。公園は、復帰記念事業として1975年に開催された沖縄海洋博覧会の跡地を、恒久的な国営公園にしたもの。最初に沖縄に来た1979年1月には、まだ土地の造成中だった。当初から水族館が設置されていたが、2002年11月に現在の水族館を新たにオープンした。
 アクリルの厚さ60cmの7500トン水槽は、大阪の海遊館を上回り、今まで見た水槽の中で最大である。確かに世界一なのであろう、ギネスの認定証が貼ってあった。正面に伊江島を望むロケーションが良く、敷地がとにかく広い。他の施設を回ればここだけで一日コースになろう。ただ、我々を含め、大部分は水族館のみのようではある。後の予定を考え、比較的短時間で切り上げた。
公園中央ゲート   水族館入口   ジンベイザメ
公園中央ゲート  水族館入口  ジンベイザメ

( 今帰仁城跡 )
・水族館から車で10分位で、本部半島北側の海を望む山の上にある、今帰仁城跡に着く。琉球王朝統一前の三山時代の、北山王の城跡で沖縄最大級の規模の城である。ここも、資料館(歴史文化センター)や駐車場が整然と整備されているが、世界遺産登録以後のことである。以前は山道を歩いたような記憶があるが、歩き易くなっていた。1.5kmに及ぶ城郭が見事で、現在も発掘と修復が行われている。ここは、桜の名所でもあり、丁度満開であった。
今帰仁城跡入口から平郎門を望む   平郎門からの登り道   満開の桜
今帰仁城跡入口から平郎門を望む  平郎門からの登り道  満開の桜
大庭から入口方面を望む   城郭   城郭
大庭から入口方面を望む  城郭  城郭

( 万国津梁館〜恩納村 )
・今帰仁から本部半島を縦断して名護市に入り、58号線沿いの「道の駅許田」で土産物を物色したあと、部瀬名岬の「万国津梁館」に寄る。2000年7月の沖縄サミットの会場である。現在はコンベンション施設として運営されている。会議場、結婚式場、レストランなどがある。琉球をイメージさせる洒落た高級感のある施設だ。会場は使用中で見学できなかった。カフェテラスで沖縄ソバの昼食、東シナ海を一望できるテラス席が心地よかった。シックな施設だが、昼時でも客は二組だけ、職員は暇そうだ。運営は県の外郭団体のコンベンションビューロー。なお、敷地内にはサミットの沖縄開催を決めた小渕元総理の銅像があった。
・ここは名護市の南端で、すぐに恩名村に入る。恩名村は本島中央部の西海岸にあり、海岸線沿いの南北30km近い細長い村である。海岸に恵まれ、高級リゾートホテルが連なるわが国屈指の一大海洋リゾートエリアである。
 恩納村中心部の、海側に突き出した断崖が、景勝地として知られる「万座毛」。珊瑚礁の隆起したもので、象の鼻のような形をしている。天然芝の台地になっており、景色は良いが、足元は一寸怖いくらいである。恩名村には、国立科学技術大学院大学が計画されており、造成中の予定地を覗いて嘉手納に向かう。
万国津梁館入口   カフェテラスから   万座毛
万国津梁館入口  カフェテラスから  万座毛
万国津梁館にて   万国津梁館にて   万国津梁館にて
万国津梁館にて  万国津梁館にて  万国津梁館にて

( 嘉手納、中城城跡、中村家住宅 )
・恩納村の南の読谷村を抜け、嘉手納ロータリーを左折すると米軍嘉手納基地の北側になり、左側に「道の駅かでな」がある。また、道路を挟んで小高い丘があり、そこを「安保の丘」と称し、基地反対運動の象徴のような場所になっている。基地に特に動きがないのか、誰もいない。道の駅の屋上は、基地を展望できるようになっており、カメラを構えた人などが待機している。戦闘機の離着陸があればシャッターチャンスなのだが、遠くに戦闘機や輸送機らしい機影が見えるのみで、何もなく大変静かだ。
・東海岸の中城へ向かうが、車の通行量が増え、かなり時間を要した。中城は、中城湾を見下ろす丘陵の上に位置している。第一尚氏の時代、琉球王国統一の過程で、勢力を拡大する中城湾北側の勝連城を牽制するため、首里の王府が、読谷の座喜味城主護佐丸に築城を命じた城である。城郭などの遺構がよく残っている規模の大きな城跡である。中城は、今回で3回目だが、閉園時間が迫る中、駆け足での見学になった。
嘉手納飛行場を望む   中城城跡入口   中城城跡
嘉手納飛行場を望む  中城城跡入口  中城城跡

・中城のすぐ近くに「中村家住宅」がある。18世紀中頃に建てられた上層農家(庄屋)の住宅で、氏族屋敷の形式と農家の形式が含まれ、戦前の沖縄の住居建築の特色を全て備えているとされている。沖縄戦でも奇跡的に破壊されなかったものであり(国指定重要文化財)、家畜小屋や台所など、昔の生活感覚が伝わってくる。
 夕方の渋滞に巻き込まれ、予定より大分遅くなったが、無事那覇へ帰着した。
中村家住宅入口   中村家住宅俯瞰   中村家シーサー
中村家住宅入口  中村家住宅俯瞰  中村家シーサー

最終日(2/20)は、午前中再び新都心へ行き、DFSで土産物を物色、「メインプレイス」というショッピングセンターなど、新都心を一巡し、国際通りに戻る。昼食後、国際通り入口の久茂地まで、店舗を覗きながら散策。県庁の前の地元百貨店「りうぼう」が入っている、「パレット久茂地」という再開発ビルの4階にある「那覇市歴史博物館」に立ち寄る。2006年に開いた小さな博物館だが、国宝に指定されている琉球王家の衣装などが展示されていた。ゆいレールで空港へ出て、全行程を終えた。
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