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2011 夏の沖縄 |
今年も7月末から沖縄へ出かけた。今回の宿泊は、恩納村中央部に位置する「ANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾート」にした。 このホテル(客室数399)は、沖縄一の景勝地である「万座毛」の東に位置する小さな半島の大部分、敷地面積約140千uを海洋リゾートエリアとして開発し、1983年に開業したものである。我が国の本格的海洋リゾート開発の嚆矢であり、そのモデル的存在と言ってよい。沖縄自動車道からのアクセスも良好で、立地条件は大変良い。2009年になり、改装の上現在の名称に変更された。厳しい環境下の航空業界にあって、本業回帰を徹底すべくインターコンチグループ入りしたことによる。ホテル屋上ペントハウスのロゴも、紺色の"ANA"から、今は"I"に代わっているが、私などは、今でも旧称の「万座ビーチホテル」の方に馴染みがある。 (万座毛から見た全景、18時半撮影) |
(客室と眺望) ・昨年とほぼ同じ時間の便で出発したが、到着がやや遅れたためホテルには15時半頃着。チェックインが集中する時間でフロントはかなり混雑しており、16時予約の「オーシャンパーク」に間に合いそうもないので、「リゾートセンター」で少し遅れるとの連絡をしてもらう。到着から客室案内のサービスは、過不足なく適切だった。 ・ホテルは半島先端に配置されており、客室は全て海側で、ビーチと万座毛を望む"ビーチビュー"と、名護から本部半島・伊江島方面を望む"オーシャンビュー"の両サイドから構成されている。我々の部屋はオーシャンビューの5階で、眺望は大変良い。遠くにブセナテラスが望める。昨年の曇天下の海と比べると、息を呑む程海が美しい。 ・当ホテルは、沖縄海洋博で一旦落ち込んだ後の沖縄ブームにおいて、カップルを中心的な客層として想定していたということであろう、客室は殆どが32uのツインである。我々のような5名のファミリー客は、2室に分かれることになる。当ホテルは、チャペルを二つ有する程婚礼には強いようで、婚礼〜マタニティ〜キッズといった流れの、ライフサイクルを想定した固定客づくりを狙っているよう窺える。「マタニティ」対応は、当ホテルの特徴で、マリンプログラムには、マタニティの欄が設けてある。 ・改装して間もないため、客室は綺麗だ。白を基調に海のエメラルドグリーンを配し、清潔感がある。洗面所がバス・トイレと分離した独立型なのも使い勝手がよい。ただ、今回の改装では、バスルームとベッドルームの間をガラスにし、シースルーにした。シースルーのバスルームは、外の景色が見え、解放感があるとして好意的な見方が多く、最近流行っているらしい。しかし、どこからでも、いくらでも景色を堪能できるこのホテルで、バスルームにまでその必要はあるまい。ブラインドを下ろしても、夜中にトイレ使用などでバスルームに点灯すると、ブラインドから光が漏れて来るのは、頂けない。いわゆる「設計者の遊び」ではないかという気がする。 |
(写真はクリックで拡大します。) | ||||
部屋からの眺望 チャペルと本部方面(夕方) | 同左・名護方面(同) | 同左・名護方面(昼頃) |
(マリン&レジャー) ・当ホテルのマリン&レジャーのメニューは、沖縄の中でも最も豊富な部類に属するという定評があるようだ。水上バイクやモーターボート、ウェイクボード、サーフィン、シーカヤック、スノーケリング(ビーチ近くと、ボートで外洋に出るのと両方ある)、ダイビング、パラセール、サブマリン、クルーズ(食事付きサンセットほか)、フィッシングといったマリンメニューのほか、陸上では、プール2ヶ所(屋外)、テニス、パターゴルフなどが用意されている(屋内プールもほしいところ)。更に、今年から専用遊泳ゾーンに隣接して、「オーシャンパーク」という、いわば海上アスレチックといったプログラムが開始された。空気で膨らませた、ゴム製のトランポリンやロッククライミング、スライダーなどで遊ぶもので、干潮時を避けて一日3〜4回設定されている。 また、キッズクラブという託児所が設置されており、専門の保育士が屋内の他、ビーチで砂遊びや貝殻拾いをして遊んでくれるサービスもある。 ・なお、小さな半島という敷地形状の制約から、ビーチとホテルが若干離れており、ホテル正面玄関から、ビーチゾーンの管理棟(ショップ、居酒屋、レストラン、宴会場などがある)まで、専用バスでピストン輸送をしている。ホテル1階からも遊歩道が整備されており、歩いても大した距離ではないが、炎天下ではバスを使った方が賢明だろう。 ・マリン関係の予約は、フロント前のリゾートセンターで一括してコンピューター処理されており、管理は行き届いている。また、ボートスノーケリングの例でみると、定員10名のところ、ボートの操縦者の他インストラクターが2名つくなど、十分な対応がなされており、他との比較もこの点を考慮する必要があろう。 |
ビーチゾーン入口 (シャトルバス停留所前) | 午後のビーチ | 同左 |
オーシャンパークの様子 | 朝のオーシャンパークとチャペル (ホテル側から) | キッズルーム入口のシーサー |
(ガーデンとサンセット) ・ビーチゾーンの向こう側は、万座第2ビーチと称するも、何の施設もない岩場で、ビーチスタッフの女性よれば、海水浴には不適だが、ウニなどの生物は見られるそうだ。因みに、タカラガイがいるかどうかは分からないとか。さらに隣接したビーチが、「ナビービーチ」という恩納村営のビーチである。 当ホテルの敷地内は、植栽がよく手入れされ、散策に適した遊歩道が整備されている。ただ、この季節、朝は気持ちが良いが、昼は炎天下で散策には不向きだ。 ・半島の先端部からは、素晴らしい日没の様子を見ることができた(7月31日の日没時間は19:19)。 |
万座第2ビーチ | 遊歩道のブーゲンビレア | オオバナアリアケカズラ |
アカタコノキの実 | 遊歩道のアカタコノキ | ランタナ(ホテルゾーン遊歩道にて) |
半島先端からの夕陽(8/1、19:04) | 同左(7/31、19:16) | 同左(7/31、19:18) |
半島先端からの夕陽(7/31、19:20) | 半島先端・朝のビーチ | 同左・朝の万座毛を望む |
(アトリウム、ライトアップ) ・当ホテルのフロントロビーは、2階で、1階は周囲にレストラン、ショッピングゾーン、大浴場が配置され、中央部分は最上階まで吹き抜けのアトリウムになっている。また、1階はガーデンやビーチへの出入口にもなっており、最も賑わいを見せる場所である。目の前のガーデンプールは、夜9時まで営業している他、この季節はどのホテルでも定番となっている、「手作り工房」が出店している。完成するのに大抵1時間以上かかり、子供達の夜の時間の使い方としては、恰好のものだろう。朝は、アトリウムで恒例の「朝市」が開かれている。 ・ガーデンプール前の滝は、9時以降2色のライトアップで演出される。 |
ガーデンプールのライトアップ | 同左 | アトリウムのライトアップ |
(ナビービーチ) ・沖縄では起床から朝食の間に周辺をドライヴすることが多い。今回は、まず58号線を北上し、名護手前の恩納村名嘉真地区まで行った。「沖縄環境クラブ」というNPOによると、この地域にサガリバナを見られるところがあるとのことだったので、場所を確認し、夜出掛けようと思っていたが、今年は咲いていなかった。ただ、リゾート地域らしく街路樹が整備された日の出直後の58号線のドライヴは、大変気持ちの良いものだった(歩道の雑草が気にはなったが)。 ・引き返して、万座ビーチ隣の「ナビービーチ」へ寄った("ナビー"については、次項で触れる)。恩納村には、ビーチが沢山あるが、自由に入れるところは少ない。ここは、恩納漁港の振興事業の一環として整備された村営のビーチで、一日中出入り自由である。海水浴の他、マリンスポーツが揃っており、値段も比較的安く設定されているようだ。万座毛をすぐ左に望む景観の優れた綺麗なビーチである。また、ビーチ管理棟の2階には「亀ぬ浜」という居酒屋風レストランがある。昼食で利用したが、地元の漁師さんの店といった感じの、安くておいしい店である。 (午後のナビービーチ) |
(写真はクリックで拡大します。) | ||||
ナビービーチ入口のシーサー | 万座毛と夫婦岩を望む | 夫婦岩 |
万座毛 | ホテルを望む、手前にビーチ桟橋 | 施設案内 |
(恩納ナビー) 万座毛の駐車場に、「琉歌の里」という看板が掲げられている。琉歌とは、和歌に対するもので、琉球に古代から伝承されてきた、抒情的短詩形の歌謡である。和歌の7・5調に対し、3・5ないし5・3調の歌で、三線で唄うように出来ているという。 18世紀半ば頃、この地に農民の娘で、恩納ナビーと呼ばれる「伝説の女流歌人」がいたといわれており、恩納村内に資料館の他、多くの歌碑が建てられている。万座毛を巡視した琉球王の前で、ナビーが踊りながら歌を詠み、これが素晴らしく首里にまで聞こえたという。その時唄ったとされる歌碑が、万座毛駐車場手前にある。また、近くの恩納番所跡の前には、中国の冊封使が宿泊するにつき、番所からあれこれを禁ずるというお触れが出たのに対し、ナビーが詠んだとされる歌碑がある。恋の歌も知られており、アイロニーを隠し味にして、辛苦を凌いだ民の姿が共感を呼んだとされている。 ・万座毛の歌碑:「波の声もとまれ 風の声もとまれ 首里天がなし 美御機拝ま」(波の音静まれ、風の音も静かになれ、首里の王様のご機嫌伺いをしよう(お顔を拝もう)) ・番所前の歌碑:「恩納松下に 禁止ぬ碑ぬ立ちちゅうし 恋忍ぶまでいぬ 禁止やねさみ」(番所前の松の木の下に、禁止事項の看板が立っているが、恋をしてはいけないという禁止まではないでしょう) |
万座毛の恩納ナビー碑 | 同左横の万座毛で詠んだ歌の碑 | 恩納番所前のナビー歌碑 |
(岩場の貝採集) ・ナビービーチでの昼食の後、3時前の干潮時を目指して岩場へ貝の採集に出かけた。以前は浜で貝殻を拾っていたのだが、昨年読谷の渡具知ビーチでタカラガイを収集して以来、生きた貝を収集することに興味を持つようになったようだ。インターネットで調べたところ、ホテルから車で10分足らずの、万座毛の裏側に適当らしい場所があることが分かった。58号線沿いの恩納中学の角を海側に行くと「恩納村ふれ愛センター」がある。その先が、砂浜のない海岸になっており、岩伝いに降りると、かなり沖のリーフまで岩場が広がっている。変わった形の岩が現れており、満潮時との干満差の大きさがよく分かる。沖にある島までも歩いて行けるようになっていた。人気は殆どない。岩の裏にいるタカラガイが沢山獲れ、所期の目的を達し安心した。大小のウニが多く、アナゴや珍しいヒトデ、ヤドカリ、小さな魚なども見られた。 |
リーフまで岩場になった海岸 | 陸側の状況 | 前の島との間 |
前の島 | 珍しい形の岩 | アナゴ |
(食事) ・第1日目の夕食は、「オーキッド」という琉球料理のシアターレストランにした。食事中に30分程の琉球芸能の上演がある関係で、18時と20時の2部入れ替え制である。18時ではまだ十分遊べることから、20時を予約したが、比較的空いていた。料理は、琉球料理のブッフェ形式で、メニューは豊富だし、味もクセのない食べ易いものばかりで美味しかった。ただ、照明の関係もあろうが、料理名を示すプレートの字が小さくて読みづらく、何を食べているのかよく分からずに食したものもあった。琉球芸能は、出演者の人数も多く迫力があり、舞台からフロアに下りたり、三板(沖縄のカスタネット)を各テーブルに配って客の参加を促すなど、いろいろ演出も凝らされており楽しむことができた。 |
沖縄芸能 | 同左 | 同左(獅子舞) |
沖縄芸能(シーサー) | エイサー | 同左 |
・2日目の夕食は、お馴染みの洋食バイキング「アクアベル」にした。この日は、娘の誕生日なので「アニバーサリー・ポイント」というサービスが付く。ケーキか、ワインを選択するようになっており、ワイン(ハーフボトル)にして、祝福の乾杯をした。記念写真も撮ってくれるので、思い出になる。 料理内容について、昨年は、肉料理の他にイセエビや鯛の料理があったように記憶しているが、今年のメインはローストビーフで、やや物足りなかった。カットフルーツも種類が少なくなった。経営が変わったためか、その他の要因かは分からないが、気になるところではあった。 夏のシーズンは、1日おきに8時半から花火の打ち上げがあり、丁度目の前で見ることができた。なお、朝食のご飯は、柔らか過ぎた。 |
打ち上げ花火(室内から撮影) | 同左 | 同左 |
・3日目は、ブセナテラスへ行くことにした。いわゆるリゾート法に基づき沖縄県が中心となり、地元の力を挙げて推進した沖縄の最高級ホテルと言われており(1997年開業)、2000年の九州・沖縄サミットの際の宿舎となったことでも知られている。人気は高く、評判も良いようだ。確かに、一見しただけでつくりはシックな高級感がある。しかしながら、アジア的コンセプトとでもいうのであろうか、到着してまず入る広々としたメインロビーは、外気との遮断が全くなく、「外」なのである。建物は3棟から構成されているが、中央棟とノース棟の連絡通路も「外」である。沖縄的で良い、という判断は勿論あろうが、私などはホテルに入って外の暑さに耐えるのは遠慮したい方である。 ・食事をしたのは、「ラ・ティーダ」というカジュアルなカフェテラスだ。料理は、パラェティに富み、流石に美味しかった。デザートが充実しているのも良かった。ただ、ここも天井にファンがあるものの、外気との遮断はなく(エアカーテンはあったようだが)、結構暑かった。ウェイターは当然ながら半袖の軽装だが、フロア主任と目される男性は暑そうな黒のスーツにネクタイ姿だったのが、目を引いた。高級ホテルの格式を意識しているのであろうが、何かちぐはぐな感は免れ難い。ここでも、テラスから綺麗な夕陽を見ることができた。 |
万座の部屋から望むブセナテラス 左がサミット会場の万国津梁館 | ブセナのビーチを望む | レストランのテラスからの夕陽 |
(佐喜眞美術館) ・帰りのフライトは、午後7時前で、時間に余裕があることから、帰途はまず宜野湾市の「佐喜眞美術館」に寄ることにした。11時丁度にホテルをチェックアウトし、58号線沿いにこれまでに泊ったリザンシーパークやムーンビーチの前を通り、石川ICから沖縄自動車道に入って恩納村に別れを告げた。北中城ICで降り、県道から国道330号を那覇方面へ進むと宜野湾市役所があり、佐喜眞美術館はその少し先を入ったところにある。 ・この美術館は、普天間基地の地主である佐喜眞道夫氏が基地北端の所有地の一部返還を受け、1994年に私費で創設したものである。敷地は、普天間基地に入り組んだような形になっており、鉄条網のフェンスに囲まれている。敷地内には、佐喜眞家代々の亀甲墓がある。佐喜眞氏は、1946年熊本生まれで、沖縄戦の体験はないが、内外の絵画の収集をしていたところ、「原爆の図」で有名な丸木井里・俊夫妻の大作「沖縄戦の図」に出会ったことがきっかけで、美術館創設を決められたそうだ。沖縄戦関係の常設展示には、「沖縄戦-キャン岬」、「沖縄戦-チビチリガマ」などもあり、戦火や集団自決の模様がリアルかつ恐ろしい迫力で迫ってくる。沖縄の平和教育で欠かせない存在となっているようだ。それ以外のコレクションの展示のほか、県内外のアーティストの展覧会も開かれており、訪問時には、染色作家長尾紀壽という人の企画展が催されていた。沖縄の植物などを題材にした型絵染の作品で独特の味わいがある。 |
美術館入口 | エントランスロビー | エントランスロビーの作品 |
佐喜眞家の亀甲墓 | 基地のフェンス | フェンスの警告文 |
・この美術館では屋上から普天間基地が展望できるようになっている。屋上へ上がると、さらに6段と23段の二つの階段があり、一番上から基地が望める。6と23とは言うまでもなく沖縄戦が事実上終結したとされる6月23日からきている。また、6月23日には、この二つの階段と西へ沈む太陽が一直線になるよう、設計されているそうだ。沖縄戦を忘れないという佐喜眞館長の強い思い入れが感じられる。 実は、屋上から普天間基地の全貌が見えるわけではない。墜落の緩衝地帯、そして明らかに目隠しということで、滑走路に沿って幅400m、長さ1,800mに亘る人口の森林が設けられているため、美術館の屋上に立っても、滑走路が森林に隠れてしまうのである。ジェット機の離着陸があれば、普天間の問題性がすぐ理解できるのだが、この間、ヘリコプターの離着陸があったのみで、TV等でよく見るジェット機の爆音体験は幸か不幸かできなかった。 |
普天間飛行場滑走路を望む(手前人口森林) |
滑走路北端 | 着陸態勢のヘリ | 屋上の階段、手前が6段・奥が23段 |
(おもろまち、国際通り) ・美術館から国道330号を南下し、30分程度で那覇新都心おもろまちに着く。因みに、おもろまちの隣の安里に県立第一高等女学校があったことから、国道330号はこの先「ひめゆり通り」と呼ばれている。 新都心は、2007年2月以来4年半ぶりだが、この間県立美術館・博物館がオープンし、日銀那覇支店が移転する他、業務ビルやホテルなども増えたようで、一層賑やかになった。日銀は、琉球瓦をあしらった粋な建物だ。 ・DFSギャラリア・沖縄の3階「フード・コロシアム」で昼食。2階のブランドショップのフロアには、かなり広い土産物のコーナーがあったが、1階に移り、かつ狭くなっていた。土産物は空港で買えば十分ということだろう。男性軍は、ショッピングフロアのソファーで待つ。 ・次に国際通りへ。三越先のむつみ橋を入ったところの駐車場に車を止め、市場中央通りを散策。途中かなり激しいスコールがあったようだが、このエリアはアーケードがあり、雨の心配がない。沖縄の各種物産、土産物などは、ホテルや空港に比べかなり安く、店の人たちと話をしながら買い物ができるのも楽しいのではないかと思う。牧志市場を見て回る。子供たちは、なんでこんな所へ付き合うわなければならないのか、といった表情だったが、珍しい魚介類などにすっかり眼を奪われた感じだ。この後、県庁前から58号へ出て明治橋先のレンタカー営業所で車を返却し、予定通りの便で羽田へ帰着した。 この間、台風が接近しており、当初この日辺りから影響を受けるとの予報もあったが、予想以上に台風の速度が遅かったため、影響は全くなく、沖縄の青い海と空を満喫できた良い旅行だった。ただ、気の毒に翌日から2日間に亘って、空港は殆ど麻痺したようだ。 |
DFSギャラリア・沖縄 | 第一牧志公設市場入口 | 市場内部 |
市場内部 | 同左 | 同左 |
市場内部 | 同左 | 同左 |
市場内部 | 同左 | 東京行きANA136便 |
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