( 阿麻和利の墓 )
・3日目の午前、護佐丸の本拠地だった読谷村の阿麻和利の墓を訪れた。県道6号の南側で、古堅小学校北側住宅地の中の畑の一角がその場所である。敗走して生まれ故郷の嘉手納辺りまで逃れたものの、結局ここで発見されて殺され、葬られた、ということであろう。数名の部下と一緒で、本人は女装していたといった言い伝えがあるそうだ。 葬られているのは、ガジュマルの根元のガマで、その入口はコンクリートブロックで固めてあり、その前の墓石もブロックの上に置かれていた。1963年に荒れていた墓所が、このような形に整備されたとのことだ。今から見れば、いかにも間に合わせ、といった感は否めない。「逆賊」の汚名からして、未だにこのような扱いがなされているのだろうか。読谷村発行のガイドマップには、一応掲載されているが、標識、案内板など一切なく、案内なしに訪れるのは困難だろう。今回は、読谷村商工観光課に電話したところ、観光振興係の方が道順を示す地図をFAXで送って下さり、道を間違うことなく行き着くことができた。どうも有り難うございました。 読谷はともかく、地元の勝連に、記念碑などがあっても良いのではないか、という気がする。
|